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68

中心に向かって私をつよく引いてください。いつも球でいられますよう。そうでなければ

不用意に広がって、中心が見えなくなってしまわないよう

微塵にして、虚空に散らしてください。

67

知恵を「磨く」と表現した人は、知恵を石のような手触りだと感じたのだろうか。知識は「得る」ことしかできない。知恵を磨きたい。

蒼空の澄みきはまれる昼日なか光れ光れと玻璃戸をみがく
明石海人

66

自分で考えたことなど、一度でもあっただろうか。

人はひとりでは生きられない、そう、言うまでもありません。この無力の甘美な醜悪さは。

65

陶酔を取りのぞいては陶酔に飛びこむという矛盾を自分は繰り返したいらしい。ブレヒトは陶酔を拒みたかったんだろうか? 見たこともない陶酔に身を投げたかったんじゃないのか?

64

小人物であること、度量が狭いことは、けっきょく、かまわない。つねに言葉で構築する者には、むしろ必要な条件かもしれない。でも卑屈であることは、何も生まない。

63

ほとんどの人は、見た目よりかしこい。

62

あなたの味方にも敵にもなるつもりはない。
ただ、あなたの中を彗星のように、はしりぬけたいだけだ。

61

1 女の形をしているから女性
2 なんだか女と呼ばれてきたから女性
3 女性用として売られている服を着ているから女性

3番に1000点。
胸のたいらな、すてきな女性をきょうもみた。

60

心身が穢れているというなら、それは言葉を覚えたときからのことであって、欲求や欲望のせいではない。言葉が欲望を生産する、と言った人がいたっけ。

言葉を覚えた者はみんな穢れているというなら、お互いに穢れを指摘しあうなんて最早ばかげている。きたないはきれい。

59

触媒であること。

58

「ハフナー」を聴く。
モーツァルトは音楽自身を、メロディやリズムそのものを見ている人だったようだ。してみるとバッハやブルックナーといった人たちは音楽の向こうを、摂理とか超越とかいったものを見ようとしたのか。絶対音楽なのに?

言葉の世界にもまた、言葉を求める人と、言葉の向こうを求める人がいる(人というより、事例としてとらえるべきだが)。意味から逃れることはできない。言葉自身に遊んでもらえないと、私は、言葉の向こうの向こうをすかし見ようとしてしまう。

57

にしても、いけずうずうしい・いけすかない・いけしゃあしゃあ……の「いけ」って何なのだ。「いぬ」じゃなくてよかった。

56

傍観的、とは、ものごとの批判によく使われることばだ、が、

傍観するほかに、何ができるだろう。私は、私以外の何者になれるだろう。私が、私以外の人――苦しんでいる人、輝いている人――に成り代われるなら、悲哀を知ることもない。
愛のように、罪のように、いささかの感傷をもって、私は(私を)、
傍観する。

55

強者の代弁をするな。
弱者の代弁をするな。
とにかく代弁をするな。

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