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81

たくさんのたくさんのつまらないことがたいせつなことを支えている。
たくさんのたくさんのつまらないことをわたしはしなくてはならない。

80

無意識のことは、無意識にまかせておけ。

79

ほんとうのことは退屈(嘘は、たのしい)。
退屈が疎ましいときもあり、愛しいときもあり。

78

他人をさげすむ気もちはどこからくるのだろう。
使用人は使用人らしく、そっちへ行ってなさい、というような。
みずから使用人の名乗りをあげる人は、身のうちの軽蔑心を眠らせたいのかもしれない。

(友達がほしいなら、軽蔑心は眠らせておけ。軽蔑するなら孤独を容れるべし)

あがめる、あなどる、あわれむ、そんなことはすまい。
しかし、こと「あなどる」に関しては。
差別せずに生きていけるなんてことは。

(いちど軽蔑してしまったら、あとはもう無い。軽蔑は「最後の一切れ」だ)

どうぞ私に見くびらせないでください。
見くびらせるものを私は憎んでしまう。
私のなかにつつましい敬意を育てるもので満たしてください。

77

理想を持つ者は/それに到達しないように 気をつけるがよい/さもないと いつか彼は/自分に似る代りに 他人に似るだろう
(「警告」E.ケストナー/小松太郎訳)


好きな人には、守護霊になってほしいと思う。
好きな人には、死んでほしいと思っているのだろうか。

友人には死んでもらいたくない。
友人のことを好きではないのだろうか。

76

悪は悪によってのみ認識される。

悪人のなかに悪を感知するためには、感知する者のなかにもそれに呼応する悪があるはずだということ。
悪人どうしの対話は契約として成立する。
悪人と善人に対話は成立するだろうか。善人がいるとして。

善がどんなものかは知らないが、きっと、ひどく見境のないものなのだろう。
悪がどんなものかは知っている気もするけれど、その手触りは説明できない。
私を慄然とさせ陶然とさせるのは、たとえば次のようなことがらだ。

われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。/破壊者であるバビロンの娘よ、あなたがわれらにしたことを、あなたに仕返しする人はさいわいである。あなたのみどりごを取って岩になげうつ者はさいわいである。
(「詩篇」第137篇1,8-9)

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