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137

子どものころは死が近かった。おとなになるにつれて死は遠くなる一方だ。
知らないことが多すぎると気づけば気づくほど。
死が子どもの私の目をこじあけた。今、無知が私の目をふさごうとする。

136

誰もかれも忍耐づよく愛を待っている
忍耐を惜しめば負けといわんばかりに

煉瓦の街に列をなして

独裁者は愛をはじめられなかった
稀代のプレイボーイは愛をやめられなかった
犯罪者は愛をはじめられなかったかやめられなかった
と想像する
伝説に固有名をきざんだ人はたいがい愛に病んだ人だった


忍耐を惜しんだ人の負けを遠巻きに指さしながらそうでなければ
ほんらい勝負事ではないのだという顔でいずれにせよ

煉瓦の街に列をなして

135

詩歌では答えを出してしまうこと、イデオロギーを語ってしまうことはあまり歓迎されない。
問いこそが可憐である、と。
ひとまず賛同はしておく。
が、おびただしく発されてやまない大小の問いは、精神の非常出口をふさいでしまうようにも思う。
道を開きたければ、大きな答えはペンディングしながら、要所要所で小さな答えを打ち込んでゆかねばならないだろう。
特定のイズムをあからさまに主張する詩歌が成功しにくいことを私たちは経験的に知っている。だからといって、思想が創作の邪魔になると考えるのは怠慢である。
書くことは思想を育てることだから。
思想は散文で語られるときもっとも効率よく共有できるだろう。
そして韻文も、より直感や感覚に近いところで、受け手の思想に働きかけてゆかねばならない。

134

真剣になりすぎないよう、真剣に留意しなくては。

133

ポーズ・ポーズ・ポーズ・ポーズ……ポーズ。なんらかのみぶりでない詩などあるものか。

132

ひとびとはなんとたやすく忠誠心のありかを他人に(とりわけ若者に)見つけることか!

131

きらいなわけを説明するのは存外たやすく、すきなわけ、すごいと感じるわけを説明するのは存外むずかしい。だから評論の目的はできるだけ後者であってほしい。

130

観念的、ではなく、まさに観念を追うことのむずかしさ。

玉のような観念、というときそれは観念的ないい方だが、やはり玉のような観念が……

玉が、ほしい。

129

人ひとり救えればよいほうだろう。ひとり分だってむずかしい。
恋愛が得てして一対一の関係なのはそういう理由が大きいのであって、誠実さとか純粋さとかはむしろ言い訳に近いような気がする。

128

神話や想像力がではなく。
人間関係がファンタジーだと思うことがある。
恋愛、友情といった語で単純に括れない。越境、融合、倒錯のある関係。
むしろそういう関係のほうが日常的ではないか。
ファンタジーと日常は背き合わない。

127

感動は目的ではなく結果であること。

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