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「言葉の暴力」という言い方が、実のところ、有効でないこと。
言葉や音声は、本来、暴力である。
それらのせいで、こそばゆいような細かい傷が私たちには常についている。
「心を傷つける・傷つけられる」という言い方の手軽さ。
吐き気がする。
傷は特権ではない。
細かい傷をしきりにつけあいながら語りあわずにいられないありかたを友愛と呼ぶのではないか。しかし実際、それは得がたい。私たちは弱さのあまり、傷を癒しあうことを優先してしまう。
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「言葉の暴力」という言い方が、実のところ、有効でないこと。
言葉や音声は、本来、暴力である。
それらのせいで、こそばゆいような細かい傷が私たちには常についている。
「心を傷つける・傷つけられる」という言い方の手軽さ。
吐き気がする。
傷は特権ではない。
細かい傷をしきりにつけあいながら語りあわずにいられないありかたを友愛と呼ぶのではないか。しかし実際、それは得がたい。私たちは弱さのあまり、傷を癒しあうことを優先してしまう。
他人とは意外と誠実なものだ。
なにはなくとも、誠実でありさえすれば。
わたしが目を閉じているからといって眠っているとはかぎらない
あなたの声を聞いているよ
わたしが目を閉じているからといって死んでいるとはかぎらない
あなたをずっと見ているよ
なやみは娯楽。絶望している暇などない。
幸運には、幸運のパン種の仕込みが必要。
いちど手放したものは、みるみる沖へ遠ざかる。
だから手放してはならない、ということではない。
ただ、手放したなら、自分の所有物であったことをすみやかに忘れなくてはいけない。
むかし、ということは、自慢にならない。
あの赤い一点のボールは、もう、私のものではないのだよ。