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小野十三郎「奴隷の韻律」論は、その是非とは別に否応なく、当時カンフル剤として機能したのだろうと想像する。そこでは抒情すべてが悪よばわりされたわけではない。短歌的抒情=古い抒情=悪、として、あくまでもそのよどんだ「古さ」が問題になっていた。だから非短歌の人も短歌の人も「新しさ」めざしてやっぱり抒情にはげんだ敗戦後だったはず。ところで、ある種の抒情が「奴隷」なら――

感傷は、何と呼ばれただろう。
「畜生」?

感傷に古い・新しいの区別やランキングはあっただろうか。

現在、抒情に奴隷などという過剰なイメージを付す人は、そうそういない。抒情を肯定する/しない、という軸にそって考えるべき時代的必然は、もう(概ね)ない。抒情に関心をもつかどうかだけ。

しかし感傷は現在でも多く否定されるだろう。「安易な」「他人事としての」「~にすぎない」などの語とともに。

ならばなお、抒情より感傷。見極めるまで、感傷を追ってみること。ただしい反動のために。

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無駄死にということばがあり
無駄生きということばはない

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