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247

言いおおせたい欲望があり、言いおおせることへの不安あるいは不信(言った途端それは嘘になってしまわないか? 何かをとりこぼしてしまわないか? 「慣れる」こと「答える」ことは悪ではないか?)がある。
前者は後者の態度を不十分であると評する。後者はそれに答えおおせない……世界のあまりにも複雑な単調さに打ちのめされているか、馴染んでしまっているかして。

欲望と不信は理解しあわないだろうか。
大人と子供は理解しあわないだろうか。
(大人とは「答える」態度を負う者である)

246

フィクションの中で登場人物が死んでも死んでも生き返ることはご都合主義とも言えるが、もともとは悪夢、狂気に抵触する展開だったと思う(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』やアンナ・カヴァン『氷』を見よ)。
生まれるまでは死んでいたものを。

245

悪趣味は生の実感のためにある。

244

もっとも残酷であるのは
残酷であると意識されずになされる行為

243

なんとも非道い殺人事件に関して第三者が殺人者を罵倒したり被害者に同情したりするのは、感情のレクリエーション。私だって遊びたい、けれど。

242

家族のあるいは地縁の機能に狂いが生じてきたことを国家に憂えてもらう必要はない。国家はわたしのお父さんではない。わたしはあなたにしつけられるいわれはない。

241

意図について、二つ

神殿をうっとり眺めながら想うのは
神ではなく
神殿をつくらせた権力者たちおよび
神殿をつくった奴隷たちのこと
(だれがなんのために)
神に向けられた情念の不可思議さ

涼しい男たちの恋物語に
女友だちが夢中になっていたとき
わたしもその恋物語を読んだ
男たちのことよりも
女友だちのことを知りたくて

240

ある詩歌を読んで「わからない」と思うのは、既知の事象と照合するからである。ある詩歌を読むときには、未知の事象との遭遇をもとめていた、はずなのに。

そのために、ひとつの作品に、ひとつかみの既知を混ぜておくことは有効だろう。ひとつかみの既知が、はかりしれない未知への細い橋を架けるだろう。

「わからない」ことを忌避するのは、「わかってない」と言われることが恥だから。そうでしょう。その種の恥は捨ててしまっても、たぶん、たいして困りはしないのに。

239

書くとはおしなべて「再現すること」であり
「現前させる」ことはできない
再生 再生
なにを書いてもそれは数秒前あるいは数年前数十年前に録音録画した記録にすぎない
日夜わたしは死体の思い出あるいは思い出の死体を生産しているのかもしれない
それは なげくべきこと? おそれるべきこと?

わたしが秋海棠の花を見て
はな
と記したら
あなたのなかでエンゼルトランペットが咲いた
みたいな
わずかなおおきな違い

わたしが書いて 死ぬもの
あなたが読んで 生まれるもの
それは かなしむべきもの? よろこぶべきもの?

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