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娼婦が信仰に目覚めて心をあらためる――そんな古風な物語をきいて、現在、信仰が1ステージ上の生活あるいは最高ステージの生活などと考えるのは別の罠に落ちたも同然であろうと考えることもできるが、彼女はそもそも“のぼる”ことではなく“変わる”ことによって救われたのではないか。変化は救済であり私たちはいつも救済という名の罠に焦がれている、というふうに。

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