« 260 | トップページ | 262 »

261

誤解されないため、または誤解を解くために半生を費やすことになる人もいる。
誤解は最大の悲しみ苦しみ、人によっては怒りにつながるのかもしれない。
戦地、被災地などでたまたま生き残った人が、現地で義勇兵になったり、市民活動に情熱をかたむけるようになったり、ということの説明としてよく罪悪感ということばが使われる。
他人をおとしいれて得た運では決してないのに、なぜ罪悪感をもたねばならないのか、当事者になったことのない自分には理解しにくい。
運を得たことへの嫉妬をおそれるというならわからないでもない。しかし、こと不可抗力の出来事に関して嫉妬をする人がどのくらいいるものか見当がつかない。
するとやはり、かれらが回避したいのは誤解なのかと思えてくる。
――見捨てたことはない、忘れたことはない、そんなことをする人間だと思わないでほしい。
――あやうく死体になるところだったわたしをまだ人間でいさせてほしい。
――他の生者たちから、わたしをまだ離さないでほしい。
誤解による切断が、死の恐怖と同等か、それに勝る場合。

« 260 | トップページ | 262 »