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表現者はみな、しもべであるべきではないか。
誰の、かはよくわからない。創作の神様かもしれないし、極私的に崇敬している他者かもしれない。
誰の、かはどうでもよい。
自分のつくるものの支配者が自分であると決めてしまわないこと。
誰かからの示唆をうけてこしらえ、誰かへとささげる。
もちろん、そんなことをいつも考えている表現者はいない。表現者は自力でこつこつ自分のものをつくりあげると自任するのは自然なこと。
ただ、つくりあげたもののみならず、つくったという記憶さえ自分の手から放して他者にゆだねる、そのような一瞬を持てるかどうかが、表現者の資質を分けるかもしれないと思う。