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270

彼に教える者はいなかったのか? 凶悪であること以外のやりかたを?

269

瀕死の白鳥のなんといきいきと踊ることだろう!
(ダンサーによっては「ちょっと寝ます…」くらいの演技にとどまるひともいるけれど。きっと、彼女の肉体はまだ若すぎるのだろう)

生を感じさせるものが好き。
夕陽、朝ぼらけの月、時代遅れの歌、倒れて血を流す人、廃れゆく都市、そうしたものたちが存在過程のなかでもっともいきいきと息づき、死にぎわのあがきをかがやきに変える季節にあってこそ、生きることはすばらしいと、ひとが、自分が、口にすることをゆるせる。

頽廃の光輝にとって、あたらしいものなんて、未だ蒙く死んでいるも同然だ。

268

怒りは散文の道を通ってやってくる、ならば、そのまま散文の道をゆかせなさい。散文で訴えなさい。私は怒りを歌うな。

歌は、その丈が短いとしても、感情や洞察の長きにわたる堆積のはての、さいごの溜息だから。

だから。歌からよびおこされる想念を散文によって追うとき、それは歌の過去世をさぐる、さかのぼる旅だと思う。

耐えて耐えたのち。歌となるとき、ようやく、未来がはじまる。

ぼくにとって短歌とは、文学のあらゆる形式が語り終った時、表現を完了したとき、まさにその時から歌い始めるものです。
(「見えないもの」塚本邦雄)

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