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意味の通じる言語をしゃべる人たち、商品が親しげにかがやく通り、機敏なウエイター、うつくしくきよらかな老若男女、おちついた煉瓦造りのショッピングモールのなか、いつもいつでも異邦人のように私はいる。
逆に、外国語ばかりがとびかう輪の中や、服装も習慣も異なる秘境、どこにいても、ずっと前からそこの住人であったかのようになじんでしまう人もいる。
どんな場所も旅先になる人と、故郷になる人がいるのはなぜだろう。
私はさびしくないし、居心地もわるくない。ただ、自分をふしぎに思う。
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意味の通じる言語をしゃべる人たち、商品が親しげにかがやく通り、機敏なウエイター、うつくしくきよらかな老若男女、おちついた煉瓦造りのショッピングモールのなか、いつもいつでも異邦人のように私はいる。
逆に、外国語ばかりがとびかう輪の中や、服装も習慣も異なる秘境、どこにいても、ずっと前からそこの住人であったかのようになじんでしまう人もいる。
どんな場所も旅先になる人と、故郷になる人がいるのはなぜだろう。
私はさびしくないし、居心地もわるくない。ただ、自分をふしぎに思う。
「安全神話」はレトリックではなく文字通り信仰のひとつだった。
たとえばこのような信仰。
・人は神につくられた。そのとき神から、正しさを与えられた。
・結果的に正しくあるはずなのだから、今回は間違えたとしても、次は間違わない。
・神を信じることは、人を信じることである。
したがって、まだしばらく生きているつもりなら――
神を捨てなければならない。
忘れなければならない。
恋人のように。
泣きながら。
勇気を。
表現者の最終目標は、表現ではなく、媒介行為ではないか。
人と、人をとりまくものもの・ことごととの間に、橋を架ける。
媒介者であるからには、境界的な存在であるほうがよい。
両性具有的とか、年齢不詳などとよばれるような。
わたしは境界を越えたいのではなくて、境界の住人になりたいのだ、とも思った。/多和田葉子『エクソフォニー』
死者のためになにかすることはできない。死者は有償の行為をもとめないだろう。
生きている人に対して有効である。鎮魂は。
生きている人ができることは、「かなしむ」ことではなく、「かなしもうとすること」だ。
肝に銘じて。
死者のほうが、生きている人間よりも、はるかに悲しみや苦しみを知っているんですね。/菱川善夫『塚本邦雄の生誕――水葬物語全講義』
大衆嫌いという大衆性
詩は 役に立たないことがらの役に立つ
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