冷厳たり

既に発表した評論として、今月刊行される『月光果樹園』収録作の他には、三島由紀夫と江戸川乱歩に関する群像新人賞優秀作とそこから続く両者をめぐる批評とでいつの日か一冊にしたいものがある。
また、単行本化されていない批評的随筆のようなものが約一冊分、文芸に限らない批評的文章が約一冊分ある。これまで公刊された四冊の評論集以外には、『月光果樹園』を含めたこのさらに四冊分相当が今のところ私の評論のほぼすべてである。
評論家を名乗ることでもたらされる圧力には今も違和感があるのだが、ともかく「評論」の名を借りて行なうこうした思い巡りはとても楽しかった。

ところで穂村弘さんの歌論集『短歌の友人』がこのたび伊藤整文学賞を受賞した。
お祝い申しあげます。こういうのは「愛される評論」じゃなかろうかと思う次第です。

(覚書)

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急くことなかれ

現在私が非常勤講師を務めている武蔵野大学での受け持ち科目について、問い合わせがありましたのでここでお知らせいたします。
今年前期は創作基礎Aという科目と文芸創作演習1Aという科目を受け持っています。
いずれも月曜日、創作基礎Aは13:00~14:30、文芸創作演習1Aは14:40~16:10に、武蔵野大学1号館校舎3階の1310という教室で行われます。
創作基礎Aは1年生向けで、『ゴシックハート』に記したような内容について主に講義します。
文芸創作演習1Aは江戸川乱歩の主要短篇を読みながら創作指導を行うもので、角川ホラー文庫の『鏡地獄』をテキストとしています。

既に第3週まで終わってしまいましたが、ここまではほぼイントロダクションでした。
以後の予定を以下に記します。

創作基礎A 5/12 モダニズムとシュルレアリスム
        5/19 終末思想とグノーシス主義
        5/26 身体の表象と憧憬の理論
        6/2  江戸川乱歩と稲垣足穂の都市文学
        6/9  三島由紀夫と昭和ロマン主義
        6/16 澁澤龍彦と中井英夫の「異端」文学
        6/23 幻想文学の現状
        以後   生徒提出作品の鑑賞

文芸創作演習1A 5/12 「人間椅子」
            5/19 「鏡地獄」
            5/26 「パノラマ島奇談」
            6/2  「芋虫」
            6/9  「陰獣」
            6/16 「人でなしの恋」
            6/23 「白昼夢」「踊る一寸法師」
            以後   生徒提出作品の鑑賞

外部の方も受講できますが、そのさいはしかるべき手続きを取り、受講料を支払ってください、と、ひとまず私の立場からは言わざるを得ません。

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出語りいたせ

『月光果樹園』内容予告その4

■第七章、中井英夫、その身を裂くような痛々しさから、柘榴(ざくろ)とする。
「困難な智」、『無垢の力』の末尾に本来入るべきであったが外的事情から収録されなかった評論「世界の敵」の簡略版とでもいうべきもの。中井英夫のグノーシス的思考について。
「文人と幻想文学者の間」、「月蝕領崩壊」を中心に。この集中最も長い。

■第八章、横光利一、どことなく世慣れない書生のようなイメージで無花果(いちじく)とした。
「横光運命説」、中井英夫の章に続けて読んでいただきたい、近代的世界観と実存との葛藤。横光利一の文学に詳しい人からは勝手なところだけ見すぎと言われるかもしれない。

■第九章、坂口安吾、ある清涼感と肉感との矛盾しつつの美観を棗(なつめ)としてみた。
「無垢を排除せよ」、ここにきて幻想文学礼賛の立場を真っ向から批判するような、中では最も異端の評論。しかし、いつも同じことばかり言うよりはよいと思うがいかがだろう。

■第十章、三人の非常に修辞に長けた幻想文学作家に言及した章。楊貴妃が愛したという茘枝(れいし)=ライチを章題とし、甘くそこはかとない退廃と歴史の深みを含ませてみた。
「もの見えず執深く」、赤江瀑の作品について。その近代的な視界の否定。
「攫われてゆくことの歴史とその継承」、須永朝彦、ヨーロッパ世紀末と日本の70年代との響きあい。
「半分嬉しく半分悲しく」、日影丈吉、価値をわかるべき名文名作、そしてその周知の遅れによる悲劇。この件は多くの幻想文学者にあてはまるところではないかと思う。

以上十章にまえがきとあとがきを加え、さらに章ごとの巻頭にテーマにあわせた詩歌を付す。

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どちらまで

『月光果樹園』内容予告その3

■第四章、稲垣足穂に関する章で、私の感じるところではその形、そして固く乾いた性格から巴旦杏(はたんきょう)を題とした。
巴旦杏(ばたんきょう)はスモモの一種のことでもあるらしいがここではアーモンドの意味としておきたい。

「未来基準」は足穂が未来派を自認した頃に形成された、今はない「希望の地平」について。
「足穂と童話」は題名どおり、足穂にとって童話とはどんな意味合いだったかを記す。こちらも未来派的な意味で求められる童話とは、といった話になっている。なお、これが掲載されたさい、以前ここにも告げたとおり、一部大きな誤りを記している。収録にあたり訂正したが、初出ではその部分に誤りがあったという件を明記した。
「六月の夜の都会の空」は足穂をテーマにした小説。評論集に一篇だけ小説、というのはどうかと思ったが、足穂に関する視線がよくうかがわれるという編集の方の奨めで収録することにした。

■第五章、澁澤龍彦について。ここの題名は、澁澤の地中海的な志向の部分をオリーブで象徴しようと「橄欖(かんらん)」としてみたところ、実は橄欖は別の樹木で、オリーブを「橄欖」と書くのは誤りとわかった。しかしそのカンランという大きな、ひろがりのある音、澁澤龍彦の名に似て複雑な、画数の多い漢字を捨てがたく、橄欖樹(かんらんじゅ)として生かすことにした。

「澁澤=サドの遊戯作法」は初めて澁澤について書いた文。澁澤の受け取ったサドの特質について。ブランショ、バタイユ、クロソウスキー、ドゥルーズ、バルトなどをけっこう学んで書いた記憶がある。
「澁澤龍彦と世紀末」こちらは題名のように、特に六〇年代の澁澤にとっての世紀末とは、というもの。このときはマリオ・プラーツ、ジャン・ピエロ、といった方向で書いている。特に名は出していないが吉田健一の「ヨオロッパの世紀末」も参照している。
「奇獣たちの静かないざない」、「高丘親王航海記」について。この中では最もエッセイに近い書き方をしたもの。

■第六章、矢川澄子について。題名「桜桃(おうとう)」はその人のイメージのとおりと思う。

「過つ権利」、矢川の初期の短篇「臨終の少女」について、かつてご本人にお送りした手紙に記した意見をもとにして書いた。後に、これを読んだ、ある女性作家が強い同意を示してくれた。
「『父の娘たち』を語ること」、平凡社ライブラリー収録の「『父の娘』たち」の解説だが、これが縁となって平凡社から今回の評論集を刊行していただけることになったのだからありがたいことだ。今回収録にあたり、題名を少し変えた。

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乱調なれど

『月光果樹園』内容予告その2

■第三章は複数の作家それぞれについて言及した章。同じく複数の作家について記した第十章と比べ、どちらかと言えば若さと現在とを意識し、アクチュアルな対象として見ているところ、青年にとって、永遠の抵抗であり爆弾であるところの檸檬(れもん)を章題とした。

「生涯一憧憬者・岩井俊二の小説」は題名どおり、映画監督岩井俊二が小説として発表した作についての文で、特に『ウォーレスの人魚』『リリィ・シュシュのすべて』が中心。『リリィ・シュシュ』は映画とその原作にあたる小説とではストーリーにやや違いがある。今顧みるとやはり『ウォーレスの人魚』がよくも悪くも作家岩井俊二の志向のあり方をよく示していると思う。

「『バガージマヌパナス』ヌパナス」は池上永一の小説「バガージマヌパナス」、栗原まもるによるその漫画化作品について。「バガージマヌパナス」というのは沖縄の言葉で「わが島の話」という意味だそうで、つまりこれは「『わが島の話』の話」ということ。

「アンドロギュヌス・ロマンティック仕様」は松村栄子の『紫の砂漠』がハルキ文庫に収録されたさい、依頼されて書いた解説。私は松村の芥川賞受賞作「至高聖所(アバトーン)」をとてもよい作と思うが、当時、「ニューアカ」の一員を自認し、「高級作家かどうか、俺が決めてやる」と言わんばかりの批評家が松村を頭から軽んじた言い方で評していたことにうんざりした記憶がある。その批評家の信奉する「高級さ」がどれほど大切なものか。こういう現場を見ているから、私はだんだん、時流に合わせてコメントを要求される形式の文芸批評を真剣に行なうに値しないと感じるようになった。

「小川洋子の記憶」は先に三省堂版高校国語指導書に一部引用を許したとしてここにも一部記載した。「博士の愛した数式」「密やかな結晶」「アンネ・フランクの記憶」を主な例として記す。

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見ずや空

『月光果樹園』内容予告その1

■第一章は全編の開始を告げる意味で、古代ケルト世界では魔術的な果実とされたとも聞く「山査子(さんざし)」を章題とした。
「ロマンティシズムの継承権」はイントロダクションとして、幻想文学という曖昧な、ジャンルとも言えないジャンルのとりあえずの定義をひとまず考えた上で自らの志向の位置といったところを記す。なお、幻想文学についてのさらに明確な定義は第七章、中井英夫に関する「文人と幻想文学者の間」に書かれる。
「遠い記憶として」は1960~70年代、その置かれた状況から、現実的意味とはやや別の形で、幻想文学に接近しがちな「幻影の性」として機能することのあった男性同性愛への美的幻想とその受容例の報告。
■第二章、「形而上憧憬症候群」は、尾崎翠と、その世界への感じ方を受け継ぐ主に女性の幻想文学者の系譜について。一章でのロマンティシズム・様式意識、幻影の性への憧憬、とともにさらに徹底した形而上的なものへの憧憬のありかたを辿る。
その豊饒さ、そして人為により変容し、時に貴重な美酒となるといった性質から、この章は「葡萄(ぶどう)」とした。

以上二章までがある程度全体的な幻想文学概観となります。

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知るや君

『月光果樹園』題名の由来

 一九八七年から二〇〇七年までの二十年間に生じ、雑誌等に掲載のまま単行本としては未刊行だった評論のいくつかを、昨年、ある人が果実にたとえてくれた。

 稲垣足穂は確か、どこかで、「お日様よりお月様のほうがいい」と書いていた。
 私にとって幻想文学というのは、たとえばそれが果実であるのなら、白い冷たい月光の降る世界で育った実のように思える。
 こうして「月の光で育ったくだものの園」といった題名を考えた。

前書き「月光果樹園園丁より」から抜粋

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望みてし

『月光果樹園』予告

これまで約20年間に発表された主要評論の集成。
今年5月に平凡社から『月光果樹園 美味なる幻想文学案内』として刊行予定。
題名にあわせ、各章に果実の名が付される。

以下に目次と初出、および各章で言及される作家等を記します。

第1章 山査子(さんざし)
          【三島由紀夫サークルの幻想文学者たち】
■「ロマンティシズムの継承権」 2006年5月 青弓社刊『ナイトメア叢書2幻想文学、近代の魔界』
■「遠い記憶として」 2006年2月 彷徨舎刊「彷書月刊」

第2章 葡萄(ぶどう)
          【女性幻想文学者たち】
■「形而上憧憬症候群」 2006年6月 アトリエOCTA刊「幻想文学」58号

第3章 檸檬(れもん)
          【岩井俊二/池上永一/松村栄子/小川洋子】
■「生涯一憧憬者・岩井俊二の小説」 2001年10月 キネマ旬報社刊『キネ旬ムック フィルムメーカーズ[17]岩井俊二』
■「『バガージマヌパナス』ヌパナス」 2001年8月 青土社刊「ユリイカ」
■「アンドロギュヌス・ロマンティック仕様」 2000年10月 角川春樹事務所刊ハルキ文庫『紫の砂漠』
■「小川洋子の記憶」 2004年2月 青土社刊「ユリイカ」

第4章 巴旦杏(はたんきょう)
          【稲垣足穂】
■「未来基準」 2005年2月 筑摩書房刊ちくま文庫『稲垣足穂コレクション2ヰタ・マキニカリス[上]』
■「足穂と童話」 2007年3月 平凡社刊コロナブックス『稲垣足穂の世界 タルホスコープ』
■「六月の夜の都会の空」 1987年12月 幻想文学会出版局刊「別冊幻想文学③タルホ・スペシャル」

第5章 橄欖樹(かんらんじゅ)
          【澁澤龍彦】
■「澁澤=サドの遊戯作法」 1989年2月 幻想文学会出版局刊「別冊幻想文学⑤澁澤龍彦スペシャルⅡ」
■「澁澤龍彦と世紀末」 1990年6月 国書刊行会刊『フランス世紀末叢書第14巻』月報
■「奇獣たちの静かないざない」 2002年7月 アトリエOCTA刊「幻想文学」64号

第6章 桜桃(おうとう)
          【矢川澄子】
■「過つ権利」 2002年10月 青土社刊「ユリイカ10月臨時増刊 総特集 矢川澄子・不滅の少女」
■「『父の娘』たち解説」 2006年7月 平凡社刊平凡社ライブラリー『「父の娘」たち』

第7章 柘榴(ざくろ)
          【中井英夫】
■「困難な智」 2002年9月 弘隆社刊「彷書月刊」
■「文人と幻想文学者の間」 2003年10月 東京創元社刊「創元ライブラリ 中井英夫全集[9]月蝕領崩壊」

第8章 無花果(いちじく)
          【横光利一】
■「横光運命説」 1999年11月 早稲田文学会刊「早稲田文学」

第9章 棗(なつめ)
          【坂口安吾】
■「無垢を排除せよ」 2000年5月 早稲田文学会刊「早稲田文学」

第10章 茘枝(れいし)
          【赤江瀑/須永朝彦/日影丈吉】
■「もの見えず執深く」 2000年2月 アトリエOCTA刊「幻想文学」57号
■「攫われてゆくことの歴史とその継承」 1997年3月 国書刊行会刊『須永朝彦小説全集』栞
■「半分嬉しく半分悲しく」 2003年8月 国書刊行会刊『日影丈吉全集第3巻』月報

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八街(やちまた)の

「ふん、A感覚ね、」とスカしてるお兄ちゃんにも、かつて「え 何、このイナガキ・アシホって、誰?」と言っていた日々があったのだ。何事にも初めがある。一方「足穂ならばもう知っている」と言う人がいたらそれは偽物である。本当に優れたものがそうそう安易に分かってたまるものか。何はともあれひとつひとつを読むことからそれは始まる。
ここに挙げたものを読み終えたとき、あなたはいかにしても足穂の総てを知ることが出来ないことの喜びを得るであろう。

「足穂入門作品ガイド」前文

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夜叉なりや

この流刑地のような星に、君は、そして僕はいる。だがいつか、ともに行こう、銀の鍵の門を越えて。

『ゴシックスピリット』第9章より

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瑞兆(ずいちょう)なりや

湖からのっとした様子で頭を上げるトーム。水蛇類(スキュラマイ)の一つで、その楕円形の頭部はすべすべとして目も口もない。体全体が白く、鱗もない。栄養分はその頭全体から水分として吸収する。おとなしい生物なのだが、妖精たちは気持ち悪がって近寄らない。これが湖から何十も頭を出しているのを見るとエルメーヌも些か鳥肌が立つ。

「少女のための鏖殺作法」より

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見ず知らず

以下、今年、三省堂版高等学校国語教科書用指導書への掲載を要請され、許可した部分

 濃厚にあるはずの内面の葛藤を、しかしできるだけ少なく表出することが小川洋子のひとつの方法である。その言葉はいつも「大騒ぎ」を拒絶している。
 感情・表情を剥き出しにすることは自己主張の方法としては意味があるが、傍観者にその者を愛させるには圧倒的にマイナスだ。それがどれほど広くあてはまるかは知らないが、少なくとも私にとって、事実として悲しいことがあったとしても、過剰な言葉を発し、大声で悲しみをわめきたてる人には到底共感できない。
 いや、たとえば報道にそうした映像が無用というのではない。物語として伝えるときの話だ。そこで主人公を可憐なものと感じさせたければできるだけ無言無表情、抑えた僅かなしぐさや慎しい一言二言によって悲しみを示すべきだと思う。そうしないと「ぼくはこんなに悲しいんだー」式の滑稽劇になる。滑稽の好きな人は大いに大袈裟な表現を心掛ければよいだろう。
 むろん、さまざまに目立つ行為をして注目を集めることはときに生きる上で必要不可欠である。赤子が大声で泣くのはそうしないと放っておかれて死ぬかもしれないからだ。
 そして成人した後も、たとえ見苦しいと感じられたとしても、自己アピールをしなければ認知されない場面は多い。
 だが、むしろそれだからこそ、パセティックな方向性のある物語の主人公を実際にありがちな自己主張者とすることは嫌われる。われわれはそのとき、生活上で見る他者のそして自己の見苦しさに重ねてそれを厭うからだ。よくいるだろう、何かつらいことがあったとき、その件には関係もない周囲の人に延々と感情的な愚痴を聞かせる醜い人々が。静かな悲しみを描こうとするフィクションではあれが最も嫌われる。
 そうした物語では不幸な者自身が自己説明してはならない。説明は脇役に受け持たせる必要がある。可哀想さが可憐さとなり、うるわしさとして受け取られるためには、当事者は自ら語る主体ではなく、他者によって語られる客体でなければならないからだ。
 私はフィクション上での可憐なうるわしさの起源を「無垢への憧憬」と呼ぶ(『無垢の力 ――〈少年〉表象文学論』参照)。
「自分・ぼく・わたし」を感じさせない空虚な内面を持つ少年少女たちがその客体性ゆえに愛されてきた。そこでは、自我とその欲望をあらわにすることは醜いことなのだ。主体そのものも、そこではできるだけないほうがよい。無垢への憧憬にとって主体は汚れなのである。
 小川洋子の小説にはしばしば身体的に損なわれた人、そして精神的に障害を持つ人々が登場する。私には、そうした能力の限定が、描かれる生の純度を増すためにあると思われる。
 フィクションとしての生の純度を上げていった極限が「無垢」である。

「小川洋子の記憶」より

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瀬をはやみ

 どうした由来か筋道か、やみくもに今、知りたい気がつのってくる。正樹は俄かに意識を強く張った。澄み切った透明なもの。そこから記憶の細い針のようなものが延びて、真直、極細の、どこに向かっているか、先の先を辿ることに集中しても、懸命に行く前方のまだ見えぬ、そこからさらにさらに、何かが姿を現わしかけているのだ。絵が気になった理由は?

「クリスタリジーレナー」より

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転合申せ

ねえそっと教えようか、あのこと、押し入れの中にいるエドガワランポ。

『ゴシックスピリット』第9章より

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じっとして

 どこだったのだろうか、路地の続く薄暗い中、板塀の前に何やらの樹の立つ場所が少しだけ空いていて、枝の下、どうにか身を休めるに足る大きさの石が置いてある。困憊窮まった新一郎が促されたように腰をおろすと縦横にさしわたす枝間から半月が見えた。そろそろ星が目を開き始めた。この夜をいったい俺はどう過ごすのかといった、そんな考え事も兆す前に、ただ無心に呆然と空を見上げた。今の不思議な心地、これが言葉にでもなるなら詩はできあがるのだが、と、それでも一瞬の後には未練が来た。諦められるものか。
 ふと眼の端に、しゅるりと白い丸い、動くものが見え、おや、猫でもいるかと思って顔を向けると、その途端、
「こばんは」
 と変な物言いがいきなり頭の後ろ、向けた顔の反対側から聞こえ、すぐさま振り返ると、洋装の綺麗な娘が腰をかがめて覗き込んでいる。

「猫書店」より

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黄泉路

川村二郎氏を追悼いたします。
江戸川乱歩の研究専門サイト「名張人外境」
http://www.e-net.or.jp/user/stako/DE/DEset.html
での2月14日の記載によれば「北海道新聞」の記事がとりわけ心篤いとのことでしたのでここに置きます。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fuhou/75032.html

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遠く遠くへゆくんだよ

 物やわらかな月が中天にかかって、両側に聳えるビルディングの群が青く霞んでいる。そこらじゅう一面に月の光がシンシンふりそそいで、まことにステキなタルホ月夜と云うべき夜だった。

「六月の夜の都会の空」より

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うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと

子らはさぞさぞ惧れたのであろう、夕闇に紛れどことも知れぬ彼方から子を取りに、生膽を取りに来る、爪の尖った異形の鬼たちという想像をだ、角ひとつ曲がった先も知れない暗い心細い夕暮れと、赤々と悔いを迫るような夕陽と、たちまち拡がる宵闇と、そこにどうしたことか親とはぐれて佇む幼児の小さな胸奥の、早鐘のような鼓動が我が身に今もとどろきそうだ。

「日の暮れ語り」より

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無理数

昔眼医者だったという空家から取ってきたアルコール漬けの眼球
小さな頭蓋骨の形をしたブックエンド
また行こうね、叔父さんが俯き語る死体の話を聞きに

『ゴシックスピリット』第9章より

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サブライム

 月光が闇にしみ渡るような夜だ。僕は家の者が寝入ったのを見計らって外へ出た。部屋の窓から降りると、たいした音ではないのに足音がひどく気になって、爪先立ちに庭を歩き、柵を越え。
 アスファルトの街路へ出ると遠くにほのめく光が見えるような気がしてそっと顔を挙げたけれど、やっぱり何もない。いつか見たことがある、テーブルの前でふたりの少年が向かい合い、その背景の空が明るみかかっている。一方の少年は空を見ている。もう一方の少年は相手の方を見詰めている。……それは何だったのだろう。

「青色夢硝子」より

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村正

 否、気を確かに持とう、できることは?  できることは?  ……庭も心も暗闇に……打ち撒く油流るる血……
  またあるとき、それはどこだったのだろう、ただ見ていた、しかし、穴から覗いて見た殺し様ではない。そうではない、全く違う。
  あれも女だったのだろうか、部屋いっぱいに積み上がったか、膨れたか、三畳間ほどの、三方出入り口のない、そこに山のような、それは、手足であったか、無数とも思える手足が、それだけでない、さまざまな肉片が、確かに肉が。
  それがざわざわと蠢くとしたら?
  いいや、化け物のたぐいではない、超自然のものではない、だが、信じられないのは変わらない、真ん中に女の顔が、思い出したのはそれが、初めて座敷で出会った女の顔だった、手足に埋もれて?
  否、それら皆、女の一部であった。
  女には、両肩から六本、上腕部から四本、腕があった。
  手首は少なくとも三つずつあって、いずれも空を掴んでいる。
  脚は十本もあっだろうか、それらは太腿と言わず腹と言わず、不揃に生え伸びるかと見えた。
  ばかりか、胸には五個の乳房が乳首を立て、顔には、頬に鼻が二つ。
  気の狂いそうな形だった、これを、作ったのは?

『闇の司』より

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メディウム

 マリリン・マンソンがジョージ・ブッシュに代表されるネオコンを嫌悪し罵倒し、軽蔑と抵抗の限りを示すように、何かに目覚めた意識たちは、既得権を当然として正統を僭称する優位者の不当な支配を全身全霊で呪い続けるだろう。そして彼女ら彼らの立つ荒野には、ときおり、シルヴィアの詩のような、鋭く脆い硝子の花が咲いているだろう。

『ゴシックスピリット』第8章より

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飛ぶ夢

  一九二四年に誕生した少女型意識体は、一九三九年、十五歳を迎えるとともに一旦、白雪姫のように休眠に入る。外には無残な季節が来ていた。その言語道断な暴力にはもはやなす術もない。たとえ極寒の時が過ぎても、まだしばらくはあまりに貧しく慌ただしい。いずれ、十分気候がよくなったとき、彼女は眼醒めるだろう。だが、それまでは、二十数年もの間、眠り続けねばならない。
  眼醒めた彼女には新たな世界と新たな課題が待っている。
  敗戦後という社会状況は、彼女に何を与え、何を奪ったのか。
  それは、彼女がより強力な意識を得て再び壮麗な姿を現わす一九六五年から後、徐々に明らかとなってゆくことだろう。

『少女領域』第6章より

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リート

ゴシックとは飽くまでもマイナーな意識なのだ。と思っていたら、いつの間にか現在、あらゆるメディアでゴシックなものが愛されている。いや、ゴシックについては「愛される」という言い方は正しくない。それは愛らしいものではなく、撫でられるため素直に頭を差し出す種類の表象ではない。それは人に突然の衝撃と驚きを与え、かつ、度はずれた何かの可能性をほのめかす。そこに確かに何かあると感じた人はゴシックな想像から離れられなくなる。半ば無意識の命ずるままに人はゴシック者となる。よって、魅惑される、魅了されると言おう。至るところでゴシックな映像、物語、オブジェが私たちを惹きつけようとしている。

『ゴシックハート』後記より

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タペストリー

人は説得されない。しかし魅惑される。一見説得によると見えた翻心も、実は相手の何かに魅惑されてのことではないだろうか。

『無垢の力』後記より

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ぽんたた

今年はできるだけネガティブにならないことが目標。なので以下。

アマゾンには売れ行きによる全順位のほかに「カテゴリーランキング」という順位が表示されます。
「情報は1時間ごとに更新されます」
とのことなので、すぐに変動しますが、たまたま2008年1月3日、2:50頃に見た記録

■本のベストセラー
指定なし > 本 > 文学・評論 > 評論・文学研究 > 文学史
文学史の中で最も人気がある商品です。

とあり、こんな順位。

1. ゴシックハート
高原 英理 (著)
--------------------------------------------------------
2. 完本・文語文 (文春文庫)
山本 夏彦 (著)
--------------------------------------------------------
3. 新潮選書 世界文学を読みほどく (新潮選書)
池澤 夏樹 (著)
--------------------------------------------------------
4. 別世界通信
荒俣 宏 (著)
--------------------------------------------------------
5. ゴシック・テイスト―“暗黒世界”への扉 (トーキングヘッズ叢書)
アトリエサード (編集)

一時間おきの順位なのでその時間の瞬間風速ですがちょっと嬉しかったので記録してみました。
ちなみにこのとき全商品中の順位としては4,551位でした。

なお、2008年2月1日、16:20には『闇の司』が、全ハルキホラー文庫中、11位。

以上、景気づけでした。失礼しました。

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たんぽぽ

お知らせをふたつ

■1 先にお伝えしました「トーキングヘッズ叢書」ゴス再特集は以下に詳細が出ました。

アトリエ・サード
http://atelierthird.jugem.jp/?eid=48

トーキングヘッズ叢書(TH Series) No.33
「ネオ・ゴシック・ヴィジョン」
A5判208頁・定価1500円(税込)ISBN 978-4-88375-088-7
発行=アトリエサード/発売=書苑新社(しょえんしんしゃ)
1/31ごろ店頭に!

……だそうです。

■2 東雅夫さんとの対談、山本タカトさんの吸血鬼をテーマにした作品について、という「夜想」(ステュディオ・パラボリカ)の催しが以下。

畏敬なるものの美しさ〈山本タカトの吸血鬼世界〉
山本タカトの描く、怖さと昏さと妖しさについて
2008年2月9日[土]19時開演
トークショー:高原英理 VS 東 雅夫 ゲスト:山本タカト 司会:今野裕一
定員:50名
入場料:1500円(展覧会入場料込み)
1F Galleria Yaso nacht [ナハト]

ご予約はパラボリカ・ビスまで。
TEL 03・5835・1180
メールでの予約・お問合せ
http://www.yaso-peyotl.com/contact/contact.html
展覧会会期中、会場でも前売り券を販売いたします。

これは

Yaso VAMPIRE EXHIBITION Part2
山本タカト展 吸血鬼逍遥   
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2007/11/post_366.html
Yaso VAMPIRE EXHIBITION Part2
会期:2008年1月25日[金]~2月18日[月]
水曜休  月~金:13:00~20:00 土日祝:12:00~19:00
入場料:500円
会場
東京都台東区柳橋2・18・11  TEL: 03-5835-1180

……の一環です。

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いい年でした

今年は小説一冊、評論一冊、いずれも望むとおりの形で刊行していただけた上、さまざまなところでご紹介ご評価いただいて幸せでした。

なお、佐藤弓生もまた今年、第二歌集『眼鏡屋は夕ぐれのため』が重版の上、高い評価を得たようなのでそちらの方でもよい年でした。

これまででも最高の年だったのではないかと、振り返れば思います。

来年は

■まず、雑誌等に既発表の主要な評論を集めた『月光果樹園』(仮題)の刊行が予定されています。
評論の本そのものが刊行されにくくなっている最近、描き下ろしでない「作品集」としての評論集なんてなかなか出ませんね。
私の場合もこれは初のことですが、皆様のありがたいご支援の結果、実現することとなりました。
最近の私はもっぱら『ゴシックハート』『ゴシックスピリット』の方向を主としていますが、かつての『少女領域』『無垢の力』的な問題についての批評をお読みになりたい方にお勧めします。今回は特に幻想文学への言及を中心として編集されています。
ほかに評論では、自分の部分の原稿は渡したまま、未だ出ていない競作集『〈意外性〉の文学論』(仮題)(ミネルヴァ書房)が早く刊行されることを願っています。

■穂村弘さんとの対談集『あこがれこざる』のための対談があと一回で終わることになりそうなので、順調なら秋くらいに刊行かな。

■フィクションのほうは今仕込んでるところ。ちょっと大変かも。
なのでこの先、本あるいは刊行物にならないことはできるだけリストラさせていただきます。
イベントにも出場者として呼ばれたもの以外はなるべく行かないようにしたいと思いますが、既にひとつ、2月に「夜想」関係の鼎談に呼ばれているものがあって、こういうのは趣旨と予定があえば出ます。

ゴス系のお知らせ三つ

■ゴシックカルチャー研究誌「コムニオ」6号、特集「侵蝕」ができました。近く無料配布。
小谷真理さんへのロングインタビュー「トランスローカルゴシック」掲載。
ただ残念ながらこの雑誌は6号で休刊することになりました。
そこでこれとは別に、しばらく後、特別号として樋口ヒロユキさんとの対談の記録「ゴシック・ロリータ・日本」が刊行されます。
こちらも無料配布のはずなので「コムニオ」と同じ所定の場所で入手できるでしょう。
今年、樋口氏の『死相の血統 ゴシック・ロリータの系譜学』刊行記念として行われた対談です。

■来年早々「トーキングヘッズ叢書」(アトリエサード)で、かつての「ゴシックテイスト」特集の方向性を徹底させた、新たな「ゴス特集」(仮題)が出ますが、ここで樋口ヒロユキさん・小谷真理さんと鼎談をしています。
「トーキングヘッズ叢書」は気になる特集が多くて、最近は大抵買っていたのですが、自分が参加するのはこれが初めて。

■横浜美術館で「GOTH展」開催中。2008年3月26日(水曜)まで。私は直接関係していませんが、企画者の方によれば、私の著書から企画のコンセプトを得たとのお話でした。そうしたこともあって期間中、関連商品のところに『ゴシックスピリット』を置いていただいています。

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惑星

11/25の読書会においでくださった皆様どうもありがとうございました。

そのときもいくらか申しましたが、来年、これまで各方面に発表してきた文芸評論の中のとりわけよくできたものを集めて一冊にしてくださるところがあり、これをひとまず区切りとして、評論活動はほぼ休止します。
理由は、ひとつに現在、純文学誌等で、文芸評論家を小説家のためのトレーナーかレフェリーとしてしか認めない傾向が以前より強まっている様子が厭になったこと。もし評論をやるにしてもこの状況が去ってからのほうが楽しくできるだろうということです。評論そのものは今も好きなんですがね。
なので、この先しばらくは、これまでできないままになっていたフィクションのプランの方を実現させてゆこうと考えています。

小説は足穂を範とするものと乱歩を範とするものとを交互に続けることになるでしょう。
『神野悪五郎只今退散仕る』は足穂系、『闇の司』は乱歩系ということになります。
短篇の「青色夢硝子」は足穂系、「日の暮れ語り」は乱歩系。
なお『神野悪五郎』は続編を予定しています。
さらに『ゴシックハート』『ゴシックスピリット』に続く『ゴシックストーリーズ』という短編小説集も予定。これは特にホラーとは限らないのですが、でもどちらかといえばやっぱり乱歩系かな。ちょっとだけ「ガロ」風な感じでもやれるといいな。

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日々の泡

昨年から今年にかけて素敵な方たちと対談の機会を設けてもらってうれしいうさぎ
(まど・みちおの詩の真似ね、「うさぎに うまれて うれしい うさぎ」)

特にここ数か月は多くの方と公開で話せてよかった。
公開では行わないけどその内容が活字化・刊行されることになる対談が今年、まだあとふたつくらい。

これまで、依頼とか仕事で、ともに話す機会をいただいた方に不満を感じたことってないな。
どれもライヴだからその場にならないと成功失敗はわかんないけどね。

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ルートヴィヒ

『神野悪五郎只今退散仕る』映画化に向けて現在準備中とか。

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うるうる

11/8  池袋ジュンク堂での、やなぎみわさんとの対談
11/11 西荻窪スタジオ・マーレでの、小谷真理さんとの対談
いずれもとてもよい話ができ、満足でした。
今回は「ゴシックとは何か」という前提となる説明を省いたため、より深いところまで語れた気がします。
こういうことなら以後ももっとやりたい。

おいでくださった皆様、どうもありがとうございました。

さて、今月はあともう一回、
『神野悪五郎只今退散仕る』について、ソロでお話しします。
11/25(日)14:00~16:00、雑司が谷地域文化創造館、参加費500円です。
これまでのゴスの話とはやや異なりますが『神野悪五郎只今退散仕る』にご興味のある方は是非おいでください。
自分の創作方法についてのこと、幻想文学新人賞前後の頃の奇妙な運命的決定のこと、かつての「幻想文学」誌周辺の裏話、等、これまで語らなかったいくつかの話題も加えてお伝えしたいと考えています。
お申し込みは以下からお願いいたします。

講演会ドットコム

http://www.ko-enkai.com/contents/event/index.htm

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うはうさぎのう

東京新聞・中日新聞で

小谷真理さんが『ゴシックスピリット』の評を書いてくださいました。

11/4です。

ウェブ上でも読めます。

http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2007110404.html

見てもらいたいところを見てもらっています。
ありがたい。
もちろん、ともかく評していただけるだけでありがたいのです。
でもかゆいところに手が届く評をいただけるというのはやはり何よりです。

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ウは宇宙船のウ

11月8日(木)19時~ 池袋ジュンク堂でのやなぎみわさんとの対談
「ゴシックの必然、シュルレアリスムの必然」
満員御礼となりました。

http://www.junkudo.co.jp/event2.html

ご予約くださいました皆様ありがとうございます。

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使徒来襲

「文藝春秋」で穂村弘さんが『ゴシックスピリット』を評してくださいました。

書評なんですが見事に穂村的エッセイになってますね。
珍しく(って、私が最近の穂村さんの他の仕事を知らないだけかも知らないが)社会的な問題意識も含む。

「文藝春秋」2007年11月号378ページに掲載されています。

実は『ゴシックスピリット』の中の短歌の項で、穂村さんのことも記していて、塚本邦雄に影響された歌人は大抵その美学を学ぶのに、穂村さんはその方法を学んだから成功した、という論旨。
続けて「それは彼にゴシックな感受性が皆無だったゆえの成功である」なんて書いてるわけで、中途半端にゴス好きだったらあんな対極的な世界を展開はできなかっただろう。
けれども、ゴス野郎の私が穂村さんの短歌に惹かれるように、ゴスでない系の筆頭のように見える穂村さんも、自分の世界と異なるものには興味を引かれるのだと思う。

何によらず話題にされることは大好きですが、その場合も「自分にはわかる、君の言いたいことは」と言われながら紹介されるよりは「自分とは全然違うけど、でも魅力的」と言われるほうがより嬉しいとも思う。

あんまりゴスでない人にもよさを伝えていただいている内容なのも嬉しい。

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モンスの天使

「テレビブロス」で豊崎由美さんが『神野悪五郎只今退散仕る』の評をしてくださっています。

しかも、 「金の斧」です。

ご存じない方のために申しますと、TV番組お知らせ雑誌のひとつ「TVBros.」は、TV情報以外の点でもきわめて良質の文化情報誌として知られており(評論家の陣野俊史氏も推薦)、そこでは数々の「こりゃーよくこの人によく書かせたな」というべき書き手がさまざまな得がたい記事を連載しておられますが、中でも豊崎さんの、「書評の帝王、帝王の書評。」と冠された「帝王切開」という記事はとりわけ愛読しています。
これは取り上げる本を「金の斧」「銀の斧」「鉄の斧」に分けて、その価値を示しつつ、丁寧に評してくださるというもの。
ちなみに「帝王からの厳命」として、「金の斧」は「親を質に入れても買って読め!」、「銀の斧」は「図書館で借りられたら読めばー?」、「鉄の斧」は「ブックオフで100円で売っていても読むべからず!」とのこと。

私は、どんな酷評でも自著を話題にしてもらえることはありがたいと考えていますが、むろん価値を認めていただけるほうがよいに決まっている。

が、それだけでなく、普段から一流の目利きと認めている豊崎氏にお墨付きをいただいたとは

生きててよかった。

「求む、シリーズ化!」とまでお書きいただいています。
これがなお嬉しい。
続編は書く予定でおります。

TVBros. 10.13/10.26号です。
現在、書店、コンビニ等の店頭にあります。

ここしばらく、どうも苦しい気分が多かったのですが、本日以後、はつらつと生きる所存であります(最後はなぜかケロロ軍曹風)。

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異端審問

もう先月のことですが、『ゴシックハート』は4刷となりました。

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クオリア問題

11月のパブリックな予定がいくつか決まりました。

■11/8(木) 19:00~
『ゴシックスピリット』刊行記念トークセッション
「ゴシックの必然、シュルレアリスムの必然」
高原英理、やなぎみわ
2007年11月8日(木)19時より
池袋ジュンク堂 
〒171-0022 東京都豊島区南池袋2-15-5

☆お申し込みは池袋本店1Fサービスカウンターで承ります。
(電話:03-5956-6111)
☆入場料はドリンク付きで1000円です。当日、会場の4F喫茶受付でお支払いくださいませ。
※トークは特には整理券、ご予約のお控え等をお渡ししておりません。
※ご予約をキャンセルされる場合、ご連絡をお願い致します。
(電話:03-5956-6111)
http://www.junkudo.co.jp/event2.html

やなぎみわさんは樋口ヒロユキさんとのお話のさいお会いしたのが初めてで、その後、お願いしました。
『ゴシックスピリット』にも作品集『Fairly Tale 老少女綺譚』(青幻舎)からの一作を図版として収録させていただいています。
1920~30年代の日本の前衛芸術と大衆芸術について主に考えることから始めることになるでしょう。この時期はシュルレアリスムとゴス(の先駆)が共存していた時代でもあります。
あとはそのとき次第。

■11/11(日) 17:00~
「ゴシックの夢、ゴシックのリアル」
既にお知らせしたとおり、小谷真理さんと
西荻ブックマークでの企画、西荻窪の今野書店という書店さんの所有するマーレというスペースで、収容人数25人程度。
参加費は1500円です。
http://s1.shard.jp/nishiogi/nbm2.htm

■11/25(日) 14:00~
『神野悪五郎只今退散仕る』読書会
千登世橋教育文化センター内 雑司ヶ谷地域文化創造館 会議室
(会場住所・連絡先) 東京都豊島区雑司が谷3-1-7
(雑司ヶ谷地域文化創造館公式HP)
http://www.toshima-mirai.jp/center/e_zousi/index.html 
参加費500円
●問い合わせ
本読書会に関するお問い合わせは以下のアドレスにメールでお願いします。(予約不要)
toiawase@ko-enkai.com

講演会ドットコム主催。
ここで連続して行っている読書会の一環です。以前『ゴシックハート』についても読書会をやっていただきました。
ソロです。
なのでこれは本当に『神野悪五郎只今退散仕る』にご興味のある方だけにむけて話すもの。

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西荻ブックマーク

上の企画で11/11、小谷真理さんとお話します。
タイトルは「ゴシックの夢、ゴシックのリアル」
お問合せ→西荻コム(fax: 03-6762-9100) or
http://members.jcom.home.ne.jp/43zoo/nbm/nbm2.htm

さて、そのとき話題とするであろう新刊

『ゴシックスピリット』詳細目次

今回は言及した対象が目次に記されておらず
(言及対象にかかわらず読んでいただきたいわけではありますが)
帯にはその代表的な一部が示されているものの、
すべてではありませんので、ともかくわかりやすさのためにここに記録します。

高原英理『ゴシックスピリット』内容紹介

0 古城への招待
    (イントロダクション、ゴシックの城、ゴシックな心性)

1 ゴシックスピリット
    (前提となる現在のゴシックと過去のゴシックの知識)
  1 ゴシックな空間
     ――倉橋由美子『聖少女』より「喫茶モンク」
  2 モダン・ゴシック
     ――山崎まどか『オードリーとフランソワーズ』より「ゴスという乙女道」
  3 崇高・耽美・反抗
     ――「ゴシック」の起源、ゴシックロマンスの歴史

2 メランコリー
    (メランコリックな心情から浸る怪奇の世界と優しい怪物たち)
  1 優しい魔物たち
     ――レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』
  2 死の情緒
     ――トマス・グレイと墓地派の詩人、ゴスロックの牙城「バッドケイブ」
  3 子供心
     ――オブライエン「墓を愛した少年」、
       モーリス・センダック「かいじゅうたちのいるところ」、
                 「まどのそとの そのまたむこう」
  4 メンタルヘルスとゴシック
     ――ロブ@大月『リストカットシンドローム』とゴシック

3 天使と悪魔のいる処
    (カトリックと中世ヨーロッパの栄光と無残、その不条理と魅惑)
  1 天使
     ――パトリック・マグラア「天使」、須永朝彦「天使」
  2 血の匂い薔薇の香り
     ――ヨーハン・ホイジンガ『中世の秋』
  3 悪魔
     ――ジョルジュ・バタイユ『ジル・ド・レ論』
  4 こころ虔【つつま】しきためにはあらず
     ――塚本邦雄『荊冠伝説』

4 死者たち
    (1980年代以後、ゴシックの一様式となったリヴィング・デッドとパンク)
  1 生ける死者の八〇年代
     ――ジョージ・A・ロメロ「ゾンビ」、ルチオ・フルチ「サンゲリア」
  2 ゾンビ・ディテクティヴ
     ――山口雅也『生ける屍の死』
  3 キュート・ビンビ
     ――『水野純子のシンデラーラちゃん』
  4 甦った死者の起源
     ――『ヨハネ伝』第11章
  5 忌まわしい聖者
     ――レオニード・アンドレーエフ「ラザルス」

5 地下水脈
    (ゴシックな感受性の先達としての1960年代「アングラ」アート)
  1 あるべき豪華とあるべき悲惨
     ――三島由紀夫『黒蜥蜴』と寺山修司『毛皮のマリー』
  2 説経節の暗がりから
     ――寺山修司『身毒丸』、説経節『小栗判官』
  3 「異端」の六〇年代
     ――澁澤龍彦と雑誌「血と薔薇」
  4 「ガロ」の漫画家から
     ――丸尾末広、花輪和一、大越孝太郎、谷弘兒

6 江戸時代のゴシックスピリット
    (現在から見るときわめてゴシックな江戸後期の怪談芝居・読本)
  1 怨霊実話と怨霊狂言
     ――『四谷雑談集』と『東海道四谷怪談』、京極夏彦『嗤う伊右衛門』
  2 無残狂言
     ――鶴屋南北『盟三五大切』
  3 江戸のリヴィング・デッド
     ――小平次伝説、鈴木泉三郎『生きてゐる小平次』、京極夏彦『覘き小平次』
  4 江戸の暗黒図鑑
     ――山東京伝『復讐奇談安積沼』

7 東京猟奇交通図
    (戦前のゴシック、1930年代東京の猟奇探偵小説の世界)
  1 都市の猟奇者たち
     ――大正モダニズムと昭和エログロナンセンス、
       谷崎順一郎、宇野浩二、村山槐多
  2 乱歩東京迷宮図
     ――江戸川乱歩、横溝正史、ヴァルター・ベンヤミン
  3 夜の市民たち
     ――江戸川乱歩、城昌幸、海野十三
  4 少年少女の夢見るところ
     ――江戸川乱歩、稲垣足穂、川端康成、三島由紀夫

8 リテラリーゴシック
    (ゴシックな文学を、あるいは愛する文学をゴシックな視線で、語る)
  1 少女のレジスタンス――シルヴィア・プラス「嵐が丘」
  2 女王の心――フィオナ・マクラウド「悲しき女王」
  3 薔薇の影で――皆川博子『薔薇密室』、中井英夫「火星植物園」
  4 韻文の招き――近松門左衛門『女殺油地獄』
  5 短歌のゴス史――塚本邦雄、現代短歌
  6 美貌という権力――三島由紀夫『暁の寺』
  7 世界の片隅で呪詛を叫んだ獣――トマス・ハリス『羊たちの沈黙』
  8 無の呼びかけ――たま「電車かもしれない」と近藤聡乃
  9 ゴシックロマンスの可能性――ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』
  10 夜ごと殺される女たち――川口晴美『やわらかな檻』

9 アートゴシック(作品収録作家名のみ、映画は題名のみ)
    ベクシンスキー
    フィリップ・フィショ
    トレヴァー・ブラウン
    やなぎみわ
    堀江ケニー
    作場知生
    山本タカト
    近藤聡乃
    亡月王
    江本創
    谷弘兒
    大越孝太郎        
    丸尾末広
    渡辺東
    映画「箪笥」DVDジャケット
    映画「CASSHERN」DVDジャケット

10 あとがき

  なお、アートゴシックの章とは別に、各章扉には次のアーティストの方々の作品を
  使用させていただきました

    サイモン・マースデン
    ピラネージ
    花蟲
    三浦悦子
    水野純子
    鋤田正義
    葛飾北斎
    花輪和一
    ジョン・サンテリネロス

また、今回はすべての図版に私から短文を付しました。            

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クリティカルに

9/1、お招きいただいたのを幸い、日本ではその開催が初・さらにアジアでも初という、世界SF大会、ワールドコンの一企画に参加。
私が参加したのは「SFの中のゴシックカルチャー」というパネルディスカッション。
ほかに出演は、高柳カヨ子さん、マーク・ドリスコールさん。
司会、小谷真理さん。
とてもうまくいったパネルだったと自画自賛してみたい。
いややはりマークさんと高