バールのようなもの
本日、書店に『ゴシックハート』入荷確認。
よって本日はゴス記念日とします。
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前々日に続き『ゴシックハート』著者からのメッセージ
本日はその後半。
私・高原英理は一九九六年、「第三十九回群像新人賞評論部門優秀作」に選ばれることから評論活動を開始しましたが、また一方で一九八五年、澁澤龍彦・中井英夫両氏の選考による「第一回幻想文学新人賞」をいただきました。この文学賞は翌年第二回まで行われましたが、澁澤氏の逝去により途絶したまま現在に至っています。
澁澤さん・中井さんは今も私の師です。
人外・異形・怪奇・恐怖・耽美・残酷・身体・廃墟・終末といったテーマによって、ゴシックの起源から現在の「ゴス」まで、見込みある未来のないまま今を生きるゴシックな魂の諸相を力及ぶ限り書きとめてみました。
これまでの著作『少女領域』(国書刊行会刊)および『無垢の力 ――〈少年〉表象文学論』(講談社刊)はいずれも純然たる文芸評論でしたが、今回は文学にとどまらず、シジスモンディ、ウィトキン、フリードリヒ、キャリントン、バロ、ベルメール、建石修志、村上芳正、四谷シモン、三浦悦子、マリオ・Aなどの美術作品、岡崎京子『ヘルタースケルター』、士郎正宗/押井守『攻殻機動隊』、楳図かずお『のろいの館』、永井豪『デビルマン』、庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』、三原ミツカズ『DOLL』などの漫画・アニメーションに関する言及も含みます。
文学としては『オトラント城綺譚』『フランケンシュタイン』『吸血鬼』といったゴシック・ロマンスのほか、澁澤龍彦、中井英夫、三島由紀夫、江戸川乱歩、稲垣足穂、ポオ、サド、ロートレアモン、ミルボー、レアージュ、グラックなどの作品から、ゴシックな心に届くものだけを探りました。
また、前著『無垢の力』の延長ともなる「人形」「両性具有」「幻想」といった章では、暗黒への志向とともに天上への憧憬もゴシックの領域であることが示されるでしょう。
ここで善悪は問題ではありません。美しく残酷なこと。きりきりと鋭く、眠るように甘いもの。ときにパンク、ときにシュルレアリスティック、またときに崇高な、暗い魅惑に輝くゴシックの世界へ、どうかおいでください。
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ネット書店に配信するためのメッセージを用意せよ、ということだったので、およそ以下のようなものを送りました。本日はその前半。
『ゴシックハート』著者からのメッセージ
高原英理
物心ついた頃から怪奇なもの怖いもの暗がりにあるものが気になって仕方なかった。夜、墓場、お化けとか怪談とか。
集団生活と共同作業が苦手。今のところ徴兵制はないからよいが軍隊に入れられたら耐えられないだろうな。
平穏が続くというのが信じられない。いつも死のイメージばかり考えていた。今も。
ダークな感じ、陰惨なもの、残酷な物語・絵・写真を好む。ホラーノヴェルもホラー映画も好き。
時代遅れと言われても耽美主義。様式美の感じられないものに興味が持てない。
身体の改変・変容に強い興味がある。サイボーグを夢見ている。肉体の束縛を越えたい。
両性具有、天使、悪魔、多くは西洋由来の神秘なイメージが好き。澁澤龍彦の紹介した文物絵画など。
金もないのに贅沢好み。少女趣味。猟奇趣味。廃墟好き。頽廃趣味。逆の無垢なものにも惹かれる。
情緒でもたれあう関係が厭。はにかみのない意識が厭。
自信満々の人が厭。弱者だからと居直る人も厭。「それが当たり前なんだから皆に合わせておけ」と言われると怒る。はじめから正統とされているものには疑いを感じる。現状の制度というのが決定的な場面では自分の味方でないように思える。
気弱のくせに高慢。社会にあるどんな役割も自分には相応しくない気がする。毎朝、起きると、また自分だ、と厭になる。自分でないものに変身したい。それは夜に生きる魔物であればよい。フランケンシュタイン・モンスターの気持ちがわかるつもり。楳図かずおの描く怪物たちの気持ちがわかるつもり。
最近ようやく気づいた。私の考え方、好み、いずれも、ゴシックと呼ばれるものなのだ。私のような感じ方をゴシック的と言うのである。
これから私はゴシックな意識について語ろうと思う。それは主義のような言い方になるときもあるが主義ではない。また思想や理論として構築されているのでもない。言ってみれば好悪の体系のようなものだ。しかしそこに自分として確固たる必然が感じられるものだけを語る。好みだからといって重要でない筈はない。命懸けの好みなのだと言いたい。ロックがそうであるように、それは生き方だからだ。
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