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ミートパイ

はやいものでフリーペーパー版「早稲田文学」はもう3号だ。

連載の「リテラリー・ゴシック」03では「嵐が丘」的感受性の継承、といったこと。

シルヴィア・プラスを引用したが、一例にすぎない。

佐藤弓生は左川ちかを日本のシルヴィアだと言う。

マリリン・マンソンだって「嵐が丘」族だ。

すでに無料で書店に置かれているそうです。
どうか手にとってみてください。

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トライ・ミー

3/8の読売新聞夕刊「本よみうり堂 トレンド館」に、
石田汗太記者による「ゴシックの美学 いまなぜ復活 不安社会で『生』の欲求」という記事が掲載された。

この件で先日取材に応じた。
記事には私の言葉として以下の部分もあり、

「個人的には、30年代の江戸川乱歩の猟奇趣味、エログロナンセンスあたりが日本的ゴシックの源流と思っていますが、80年代にアングラ的に洗練されていた耽美と退廃のゴシック趣味が、90年代以後は『おたく文化』と重なりながらすそ野が広がったのが特徴だと思います」

うまくまとめてもらっています。

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トムキャット

久世光彦氏逝去を知る。
TVドラマの演出家として神のような人だったことは言うまでもないが、私としては「昭和幻燈館」「一九三四年冬―乱歩」「早く昔になればいい」「曠吉の恋―昭和人情馬鹿物語」などの作家として、より尊敬していた。
昨年、「曠吉の恋―昭和人情馬鹿物語」のうまさにうならされて読売新聞の評判記に絶賛を記したばかりである。

「少女領域」の野溝七生子の章では、野溝を紹介した「君知るや南の国」から引用もさせていただいた。
ただし、そこに見られる少女崇拝的な態度はむしろ少女を取り込むものであって少女領域的には許容できない部分もある、と、反感を招くことも覚悟で書いた。
その件も記した上で上の本をお送りしたが、もし自分への気遣いから該当部分を削除したのではあなたの考え方を示さないことになるのだからそれでよい、と文人らしい許容のお言葉をいただいた。

いずれにせよ私は久世氏の翳り深い語りを愛していた。
語りのうまさという価値の前には思想的相違などどうでもよいことだ。残念である。

今もこの方のような文人でありたいと願っている。

昭和の翳りの部分を愛する者として心から追悼いたします。

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