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ジルコニア

ねこのこと

道端で猫を見かけると思わず…

というコミュニティが某所にある。

これがすべて言い表してますね。

見る側にとって、ねこはそういうものとしてあるように思います。

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テレビオレンジ

「リテラリー・ゴシック」にならんで「シネマ・ゴシック」なんてのもできればいいが難しいか。

最近見た「サイレント・ヒル」と「LOFT」は極め所がいいと思う。以前見た「箪笥」もいい。「吸血鬼ドラキュラ」とか「フランケンシュタイン」みたいなそのまんま過ぎるようなのを除けばやはり「サンタ・サングレ」くらいからですかね。もっと静かで怖いのもいいすね。

でもどこかで「CASSHERN」も入れてしまうな、きっと。ストーリー優先過ぎないところもゴス的には大事ではないか。退廃感とか。

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モーリス・ブランショに逆らって

フリーペーパー版「早稲田文学」に連載の「リテラリー・ゴシック」第6回は皆川博子の『薔薇密室』と中井英夫の「火星植物園」について。

「リテラリー・ゴシック」は9回で一旦終了の予定ですが、その後加筆して数倍にした形で公にできるかもしれません。
本来は好きなことを書くだけのエッセイで、その都度それらしい著作をあげて語るきっかけにしています。ところがそのきっかけを離れて本題に入りかけるところで枚数がいっぱいになるので一見紹介文のようですね。でも本当はもっと先があるの。

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とをてくう、とをるもう、とをるもう

「新世紀エヴァンゲリオン」について尋ねられた宮崎駿さんの答えは「見たことがありません」だったとの話。
この場合、「宮崎ともあろうものがあのエヴァを見てないとはなんという怠慢だ」と怒る人はまずいない。「なるほど、庵野の作品など自分の作品には無用、若造に影響されたくもない、と予め切って捨てているんだな」と、ともあれ宮崎駿氏を偉大なアニメーション作家と認める人は、考えるでしょう。

宮崎―庵野が先行者―後続者という位置づけにあるからこの発言が許されもするわけだが、しかしあらゆる「作家」であることの自由ってこういうものかと思う。自分が影響されたいものを選ぶことが認められていること。「今……を知っていないとならない」という義務から免れていること。もちろん独自に何か見つけ出して、何に手を出すかも勝手。

ところで、ときに評論家と言われながら、予め自分の世界にとって意味がないと直感する作品は一切目もくれない私です。
一時期、評論家の作家性といったことを言いたい人がいたのはおそらく、好きでもない、興味もないものについてたまたま、流行っているんだからなんか言え、と無理に言及させられたことへの不満ではなかったんだろうか。実は評論家をめざす人って、好きなものについてだけ語っていたい、というメンタリティの人が多い。だから私は時評家と評論家を全然違う仕事と考えます。ちなみに好きで時評家やってる人ってすごくいい性格の方が多い。作家性という名の狭い自己中心性にこだわりがないからと思う。

さしあたって心の狭い私には「見たことがない」と言える自由を!

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カート・ヴォネガット

ときおり最低の地点というところに目がゆく。

前近代の被差別者の描かれ方は、今あるものがそれで正しいのかどうかは知らないが、「犬畜生と同じゆえ、いつでも打ち殺してよし」と尻に入れ墨されている男の話、とか、じっと我慢して汚れ仕事を続けていれば常人扱いしてやるぞという嘘を信じてあげく殺される話とか、平田弘史の「血だるま剣法」とか「武士道残酷物語」とか、あるいは岩井志麻子の「魔羅節」とか、そういう種類の話をたまたま意識して、人類の歴史の上で人権というのがとても特殊な考え方であることを考える日だった。

拷問・処刑というあたりへの否応ない意識の向かい方とそれはよく似ている。

楳図かずおに代表されるような恐怖漫画にもその種の非人権時代の名残のようなものがあって、それが読者に忘れられない印象を与える。

世界のいったい何パーセントの地域に人権という考え方が機能しているのだろう。

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現代文学はタリウムたりうるか

名前について問われたときの記録から抜粋

■今までにこの名前可愛いと思った名前はありますか?
ラ系がちょっと好き。
木村カエラ 山崎ナオコーラ
あとは ゴジラ モスラ ガメラ ネズラ ネコラ ウサラ、など
(ネズラまでは実際に映画化された怪獣の名 「ネズラ」という映画あり 言うまでもなく大ねずみの怪獣です) 

■また生まれ変わってもその本名でいたいですか?
できればドイツ人でジークフリート・アウグスト・フォン・ブレーメンタールなんてのがいいと思う。
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンなんてのもいいな。 
リンドバーグてのもいいしな いいなーゲルマン系の名は。

※ おまけ

子供の名付け(命名)DQN度ランキング

http://dqname.selfip.net/

「光宙(ぴかちゅう)」「光線(びーむ)」とかはバカだけどまだ愛を感じる。
しかし「亜菜瑠(あなる)」「肉丸(にくまる)」はどうよ。
「珍子(よしこ)」を「よしこ」と読んでもらえるとは思えない かわいそー

これ見てると……ご両親さまありがとう。

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トールモー・ハウゲン

どこまで実現するかはまだわからないが、これまで雑誌に発表したまま単行本化されていない主要な評論から質の高いものをまとめて刊行することになった。
選択と配列に関して、著者の意図といったものはいったん放棄してみようと思う。
この企画を認めてくださった編集の方に取捨選択をお任せしてある。
私のどの面が強調されることになるか、楽しみにしている。

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ロマンティック・オア・ノット

映画「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」を見たあと、たまたま監督・出演俳優の来日挨拶の録画を見ることがあって、その中で確か、監督だったかと思うが、こんなことを言っておられた。

「この映画は全然誰からも助けてもらえない一家の話です。国も助けてくれません。でも、本当に弱い立場の人を助けてくれる国なんてあるんでしょうか」

記憶に間違いがなければこんな内容だった。映画での描写も、国家がかなりハードに個人を拘束していた。これ、怪獣映画のはずなんだけど、一番の感想は「かわいそう」かな。本当に身内しか助けてくれない。あ、途中で知り合った最低生活の人だけは手を貸してくれるけど。

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ずぶぬれて犬ころ

岡崎京子の『ヘルター・スケルター』という表記について

『ゴシックハート』第3刷にともない、101ページ、『ヘルター・スケルター』の後に

(この題名表記は奥付に従う)

という注記をあらたに加えました。

一般には『ヘルタースケルター』と書かれる岡崎京子の漫画ですが、少なくとも私の所有する2003年4月20日刊の初版第1刷の奥付には

『ヘルター・スケルター』

と中点が入っています。

実は私も最初『ヘルタースケルター』と表記していたのですが、通常、最終的に文献情報として信頼されるのは奥付であることから校正のさい、現在の表記に直したもの。

ネット上でこの件に触れて
「『ゴシックハート』、内容は悪くないけど『ヘルタースケルター』の表記間違ってます」
という意味の指摘があったので、
その書き手の方には感謝しつつ、しかし、事実は事実として示しておかないと単なる誤記と思われてしまうのも残念なのでこのようにしました。

ところで今回の表題は住宅顕信の句。書名でもあります。ご存知の方も多いはず。

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テルマ&ルイーズ

ずいぶん以前に『少女領域』の序論のところが英訳され、アンソロジーに収録される予定と記しましたが、ようやく完成し、送られて来ました。
ハワイ大学出版局から、女性の文学に関する批評集として今年刊行された本。
青山友子さんとバーバラ・ハートレイさんに翻訳していただきました。
レベッカ・L・コープランド編

Woman Critiqued : translated essays on japanese woman's writing

Rebecca L. Copeland, edition

2006 University of Hawai`i Press

以下目次(ただし収録作の邦題が特定できないものがあるので作者名のみ)

一章 The Feminine Critique : "Womanlines" and the Woman Writer
Introduction  Rebecca L. Copeland

国木田独歩
三輪田真佐子
小栗風葉
与謝野晶子
小林秀雄

二章  The Essential Woman Writer
Introduction  Jan Bardsley

瀬戸内晴美
奥野健男
秋山駿

三章  The Narcissistic Woman Writer
Introduction  Tomoko Aoyama and Barbara Hartley

三島由紀夫
長谷川泉
田中美代子
原史朗
澁澤龍彦

四章  The Resisting  Woman Writer
Introduction  Joan E.Ericson

高橋たか子
津島佑子
富岡多恵子
中山和子

五章  Woman Writers and Alternative Critiques
Introduction  Amanda Seaman

水田宗子
斎藤美奈子
高原英理
松浦理英子

六章  Woman Critiquing Men : Watching the Ripples on the Pond
Introduction  Rebecca L. Copeland

上野千鶴子
小倉千加子
富岡多恵子

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ルーセルにならいて

青山ブックセンターでの「人造美女は可能か?」フェアの様子を確認。

先日記しましたとおり、9/10から慶應義塾大学出版会刊の『人造美女は可能か?』にちなんだ書籍を集めて販売中。

行ってみますと、『少女領域』『無垢の力』『ゴシックハート』がいずれもいい位置に平積みで、とてもとてもありがたかったです。

書店のみなさまありがとうございます。

各執筆者の方のご著書がみなあります。それらとともに本文で言及された『フランケンシュタイン』『未来のイヴ』『メトロポリス』や、ルーセル、ホフマン、マラルメ、デュシャン、キャロルの著作とそれらに関する著作、澁澤龍彦、ベルメール系に、三原ミツカズの『DOLL』などなど、また江戸川乱歩の『魔法人形』と光文社版『江戸川乱歩全集』全巻ワンセットというのもいいですね。
入り口のところに大きな系譜図もあってわかりやすい。
なお、ミッシェル・カルージュの『独身者の機械』が品切れらしいのだけはやや残念。

図に乗ってサインでもしようかとふと思ったが、本に何か書いてあると返本できないので思いとどまる。
書店に迷惑はかけまい。

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クルト・ワイル

ちょいゴスのこと。
作家の牧野修さんが半ば冗談で「ちょいゴスおやじ」という言葉を発案しておられた。
ゴスといったってゴスロリばかりがすべてじゃないし 、40代から50代くらいのおやじには澁澤龍彦や平井呈一をよく読んだ人も多いはず。
幻想文学とノワール系に好みがあればあなたもちょいゴスだ。
ということで、どっかでやれないかな、ちょいゴスおやじ特集。

ところで以前、千野帽子さんと話したとき、「オヤジなのはそのとおりだからいいけど、『ちょいモテおやじ』とか、嫌ですよね」と言っておられた。
そのニュアンスはわからなくもない。
メディアが「いい気にさせてやろう」として作り出した流行語を真に受けて「オレ、ちょいモテおやじ?」とそのままいい気になっている愚かさとか、意識の低さ、独りよがりの格好悪さといったものに千野さんは敏感だ。
とてもセンスと頭のいい人だからその嫌悪は仕方ないと思う。

とはいえ、私はもう少しゆるくやりたい。
田舎な、センスの悪いものにあまり過酷になりたくない。
「いい気になる」ということもある程度はいいと思う。
私自身がセンス悪いからだ。
せめて「ちょいゴスおやじ」にはいくらか自嘲のニュアンスをこめて使いたい。
といっても、ここ一年くらいの耐用年数かもしれないが、あんまり細かいことは言わないで、ゴスは女性と若者限定と思わないで、ゆるくていいからちょっとだけゴスぶってみようよ、40代以上の男性たち。

むろん私自身は「ちょいゴス」じゃ駄目なので、「もろゴスおやじ」を貫きたいと思います。

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ルカ受難曲

mixiに「ゴシックカルチャー研究会」というコミュニティがあって、加入者は既に二千人を超えているのだが、その管理人を含むメンバー数人が「コムニオ」というフリーペーパーを刊行している。

現在3号まで出ています。1号ではロブ@大月さんと私との対談が掲載されましたが、3号からは「監修」をすることになりました。
といっても基本的な企画と内容はすべて編集に任せてあります。
1号の特集は「ゴシックとは何か」でした。2号では「人形」、3号は「変容する身体」。
今回は作家の藤沢周氏による記事、そして解剖医でコスプレイヤー、「夜想」でもインタビューを受けておられた高柳カヨ子氏による死体についてのエッセイ「静謐にして、絢爛たる」がとても優れた言葉と思います。
またゴシックカルチャー研究会管理人の間宮賢氏が、半ば実現しつつあるサイバーセックスの現状をレポートしていて、これが読み応えあるでしょう。ほかに「近代人の死体蘇生」如月悠帆、小説で「足」犬養葉子、「溶け合わぬ肌」吾妻花葉。
デザイン、目玉堂。絵もいいです。
ただしまだまだアマチュアの仕事の部分もありますからそこは暖かく見守ってあげてね。無料だし。
この雑誌は刊行部数が少ないので、なかなかご覧にはなれないかも知れませんが、以下に配布場所を記します。既になくなっていたら失礼。

関東方面

ヴァニラ画廊
http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=l_00001064

ギャラリーミュウ
101-0062 千代田区神田駿河台1-7-10 03-3219-0467

スパンアートギャラリー
http://www.span-art.co.jp/

早稲田大学文学部正門前「あかね」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=60859

日本大学芸術学部江古田校舎B棟3階
        所沢校舎文芸棟1階

(予定)
中野ブロードウェイ3F タコシェ
青山 NADIFF  

関西方面

恵文社一乗寺店
http://www.keibunsha-books.com/

トランスポップギャラリー
http://www.trancepop.jp/

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魂で生きている

フリーペーパー版「早稲田文学」、手に入れられなかった方へ
バックナンバーをネット上で読むことができるようになりました。

http://www2.terc.jp/demo/osc1/catalog/default.php?cPath=5&osCsid=623f59c01e9c823c2b7228ae58d79ac5

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夏だった

巽孝之・荻野アンナ編 『人造美女は可能か?』

という本が慶應大学出版会から8/21に刊行されました。
ここに自分の「ゴシックの位相から」という批評的エッセイが収録されています。

この本は慶應大学で開催された「人造美女は可能か?」というシンポジウムの内容をもとにしていますが、私のエッセイは、書籍化のさい、新たに書き下ろしとして依頼されたもの。

全体の内容は以下のとおり。

はじめに 巽孝之
ホフマンからゴスロリまで

第一部
 マラルメの効用 立仙順朗
 ヴェルヌとルーセル、その人造美女たち 新島進
 聖人造少女領域 宝野アリカ
 死んだ美女、造られた美女――ポウ、ディキンスン、エリオット 巽孝之

第二部
REPORT 人造メイドの人造慰霊祭 荻野アンナ

第三部
 ゴシックの位相から 高原英理
 ゲイシャとT・レックス 小谷真理
 オリンピアとマリア――E・T・A・ホフマンの『砂男』とフリッツ・ラングの『メトロポリス』 識名章喜
 バービーは仏像かもしれない 茅野裕城子
 ロスト・イン・トランシジョン――世界の終わりの人形たち スーザン・J・ネイピア

人造美女編年史
おわりに 立仙順朗
付録 人造美女関連人名・作品チャート

それで、この本に関連した書籍フェアが東京・青山の青山ブックセンターで9/10から開催されますのでお知らせします。

『人造美女フェア』
  ○開催場所:青山ブックセンター本店
  (東京都渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山ガーデンフロアB2F)
   〔※六本木店ではございません。ご注意ください。〕
  ○開催期間:9月10日より、約1ヶ月間。
  ○書籍点数:『人造美女は可能か?』を中心に約90点。

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