とをてくう、とをるもう、とをるもう
「新世紀エヴァンゲリオン」について尋ねられた宮崎駿さんの答えは「見たことがありません」だったとの話。
この場合、「宮崎ともあろうものがあのエヴァを見てないとはなんという怠慢だ」と怒る人はまずいない。「なるほど、庵野の作品など自分の作品には無用、若造に影響されたくもない、と予め切って捨てているんだな」と、ともあれ宮崎駿氏を偉大なアニメーション作家と認める人は、考えるでしょう。
宮崎―庵野が先行者―後続者という位置づけにあるからこの発言が許されもするわけだが、しかしあらゆる「作家」であることの自由ってこういうものかと思う。自分が影響されたいものを選ぶことが認められていること。「今……を知っていないとならない」という義務から免れていること。もちろん独自に何か見つけ出して、何に手を出すかも勝手。
ところで、ときに評論家と言われながら、予め自分の世界にとって意味がないと直感する作品は一切目もくれない私です。
一時期、評論家の作家性といったことを言いたい人がいたのはおそらく、好きでもない、興味もないものについてたまたま、流行っているんだからなんか言え、と無理に言及させられたことへの不満ではなかったんだろうか。実は評論家をめざす人って、好きなものについてだけ語っていたい、というメンタリティの人が多い。だから私は時評家と評論家を全然違う仕事と考えます。ちなみに好きで時評家やってる人ってすごくいい性格の方が多い。作家性という名の狭い自己中心性にこだわりがないからと思う。
さしあたって心の狭い私には「見たことがない」と言える自由を!
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