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イノセント・イノセント

フリーペーパー版「早稲田文学」07、近く配布開始とのこと。
「リテラリー・ゴシック07」はゴス短歌の発生とその変遷について。
ごく重要なところだけしか書けないので、塚本邦雄と2000年代以後のゴス系若手歌人の歌を引用した。
途中、比較の意味で非ゴス歌人として穂村弘をあげてみたが、これは穂村さんの歌を認めないという意味ではありません。
現代短歌に関するかぎり穂村氏は私の師匠とも言える。
塚本邦雄の後、塚本的な歌を作った歌人は多いと思うが、その場合、大抵、塚本的美意識を学んでいる。
塚本の方法だけを学んで美意識を違えていた穂村弘は亜流になることがなく、80年代後半から90年代前半にかけて「素敵で切ない歌」を残した。
ということですが、しかし、90年代を過ぎて現在になると、むしろ一回りした美意識系がかえっていいかも、という展開も記しています。

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アッシャー家の崩壊

名について、再び

ある人から、本名と筆名とでは何か書く態度が違う気がする、どうなんだろうか、と問われたときのコメント

名による呪術的な呪縛という考え方をする人もいますが私はそういう意味には賛成しません。
別の名に異なった人格を感じるのは、その別の名で知り合いつきあってきた知人友人との関係性とそのとき演じた役割、またその名で過ごしあるいは創作してきた時間の記憶が本来の名とは別にいわばサブ人格として囲い込まれて特定されるからでしょう。
その意味で、全然過去がない新たな名ではそういうこともないはず。
逆に特定の過去が別であれば確かにその部分は違う人間を演じてきたわけなので、その記憶の集積がある限り、別名で過ごした時間は別の人生であり、別の個性、ひいては別の才能であることになります。
本名とは別の筆名を持つことは多重人格を自己創出するようなものと私は考えています。
また二つ以上、名を持つ人というのは一人の自分という限定に満足がゆかない人なのではないかとも思います。

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メランコリア

覚書

教養、というのが失われつつあるという話もあるが、それはともかく
教養とサブカル的知識(オタクの薀蓄)との差は、それを知ることが何かのランクアップとなると錯覚させるかどうかではないかと思う。
その意味ではサブカル系の知識にも教養になりつつあるものはあるのではないか。

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フランケンシュタインの花嫁

今月初めから渋谷HMVの6階に青山ブックセンターが入った。
脇にイベントスペースのようなところがあってしばらく森山大道ポラロイド作品展をやっている。
写真集とか美術デザイン書に力を入れているのでかつてのアールヴィヴァンをもう少し身近にしたようなところになっていた。
なんとなく好意を感じる。
別におたく排除の場でもないし。
なにかが一巡りしたような気もする。
アートが好きだ。

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スティル・ライフ

手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ  北原白秋

新聞紙というのはやや卑俗で、それ自体は以下と比較したくないが、昨日聞いた、イアン・ボストリッジ歌、ジュリアス・ドレイク伴奏、によるシューベルトとブリテンの歌曲は泣かまほしいものだった。

ところで私はブルックナーが好きだが、たまにシューマンとかブラームスとか聞いているとひどく趣味がよくなったように感じる。むろん錯覚だ。というか音楽ってそういうものではない。
それはともかくとして、この錯覚された趣味の序列による奇妙な差別というのが80年代のおたく系と知的センスエリート系の差の感触に近い。

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イジドール・デュカス

創元ライブラリ版『中井英夫全集』第12巻が刊行され、遂に全集が完結した。

全巻とおしてのプロデューサーであり解題者である本多正一さんから贈呈されたので昨日、お礼のメールを送った。ここには普段から口にしている私の意見が含まれており、また、個人情報的な問題はないと思われるのでそのまま掲載する。

『中井英夫全集』第12巻お送りいただきありがとうございました。
今年前半期、武蔵野大学で創作について講義しましたが、そのさい、以下のように語りました。
「いかに広く多くに読まれる作家でも、ただ幅広い人気があったというだけで
あれば死んだ後は大抵忘れられる。死後にその著作が重要な文化的遺産
として刊行され続けることと、移り気な一般人からの人気とは関係ない。
決め手になるのはその作家を最も深く愛し、世に知らしめようと努め続ける
特別な人が一人いるかどうかだけである」
本多さんを念頭に置いて語ったことであるのは言うまでもありません。

全集完結、おめでとうございます。

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きんもくせい

昔、池袋西武百貨店の12階にはセゾン美術館というのがあってその横にアール・ヴィヴァンという美術書店があった。
そこでフランスの「オブリック」とかいう、雑誌らしいんだけど厚くて布装の本の、ハンス・ベルメール特集を買ったあたりから私の80年代は始まった気がする。
アール・ヴィヴァンにはけっこう行った。画集もちょいちょい買った。行き初めの頃、たいていブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」が響いていた。

ずっと後になってセゾン美術館は閉鎖、アール・ヴィヴァンもなくなった。そのへんから90年代的なものが始まったような気がする。

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ドルイドの招き

80年代についてもう少し。
あの頃、一番の問題だったのはヘテロセクシュアルの男性なら「女がいるか」ってことだったんじゃないのかな。それが絶対ありえない男を「おたく」と認識していたふしもある。
ダサくてもカップルになれた人々はいたはずだし、それが当人同士この相手で満足と思う限りは外部の価値観は気にならなかったはず……というのはやはり建前で、カップルであっても「美しい日々に生きる自分たち」を演出したかったのではあっただろうけれども。
でも私は、吾妻ひでおの『翔べ翔べドンキー』という漫画で、男性が一生懸命イケようとしてるのに対してドンキーとよばれる可愛いがドンくさい女の子が「いっしょにいるだけで楽しいけどなー」と言い、相手もふとそこで力が抜ける、という展開がよかったなと今思ったりしています。映画「アメリカン・グラフィティ」の後半にもそういう場面がありましたね。
ただ『翔べ翔べドンキー』は、確かめてみると1980年になってすぐくらいに出ている漫画なので、まだその頃は縛りが緩くてそういったほのぼのした展開を許容できたのかとも思える。80年代的序列化に目を眩まされてくるとそんなの発想できなかったかも。
(この件、もう少し考えるとけっこうおもしろくなりそうなのでいずれ使おうと思う)

飽くまでもそういう過去と比較してみるとだけど、ともかく相手がいるという形はある程度クリアしたとして、それを80年代的なファッション煽動と無関係に描かれる、現在のユートピアが『のだめカンタービレ』と思う。
『のだめカンタービレ』で嬉しいのはいつも可愛い服着てるけど、それが80年代以前の「ジャンパースカート」(今もあるのか?)だったりするところ。
それと、のだめ自身の「わたしってどうよ?」的自意識を全く描写しないため、作内でも語られたように動物のような描かれ方をしているところでしょう。

今回はどちらかというと80年代のマイナス面のことになってしまった。いやそれだけじゃない話はまたいずれ。

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ドーン・オブ・ザ・デッド

宮沢章夫の『東京大学「80年代地下文化論」講義』という本を見つけて昨日買ってきた。
90年代になってすぐ、おたく系と保守系からさかんに「80年代はなんにもなかった、スカだった、クズだった」というルサンチマン丸出しの発言が出続けたけど、そりゃあんたたちにはなんにもいいことなかっただろうよ。
が、そういう恨みつらみもそろそろどうでもよくなってきたみたいであるし、宮沢氏みたいに「でも俺にはいい感じもあったんだけど、なんだったのかな」的分析も始まってよいと思います。
ただご当人も、どうよかったのか、どうかっこよかったのか、とても説明に困っておられる様子だった。自分的にすごーくよかったことって伝えにくいね。

この先も思いついたときに80年代の自分の憧れと嫌悪を考えてみたいと思う。
なお私はケラリーノ・サンドロビッチ氏の映画「1980」の視点は全然納得できません。
ああいうのなら往年のおたくさんたちに切り捨てられても仕方ないと思う。

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オーランドー

もう随分前になってしまった穂村弘さんとの「あこがれこざる」対談。
先日編集の方に確認しましたら「必ず刊行します」とのことでした。
諸般の事情により時間がかかっているだけで、穂村さんも私も、編集の方も

やる気はありあり

なのです。
私自身もあの後、あれこれ他の件が多くてすぐにとは思っていなかったのですが ともあれ今年中に第一回分の内容が(相当編集されて)白水社のサイトに掲載される予定。
その後(来年初めあたりにか?)第二回目の対談が公開で行われます。
第二回目のテーマは「お互いの源泉としての塚本と澁澤」にしたいなと私は思うのですがまだ決定ではありません。
来月出るフリーペーパー版「早稲田文学」第7号での連載に塚本邦雄とそれ以後の短歌について記していて、次回はこれをきっかけとして話そうかと思っています(この件についてはまたのちほど)。

なお、本日の件とは関係ないのですが、ちょっとつけたし。
昨日の題「首猛夫」というのは埴谷雄高の『死霊』の登場人物ですが、以前、埴谷氏がテレビで『死霊』について語る番組があり、そこで埴谷氏はこの名を「くびったけお」と発音しておられたことを憶えています。

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