ドルイドの招き
80年代についてもう少し。
あの頃、一番の問題だったのはヘテロセクシュアルの男性なら「女がいるか」ってことだったんじゃないのかな。それが絶対ありえない男を「おたく」と認識していたふしもある。
ダサくてもカップルになれた人々はいたはずだし、それが当人同士この相手で満足と思う限りは外部の価値観は気にならなかったはず……というのはやはり建前で、カップルであっても「美しい日々に生きる自分たち」を演出したかったのではあっただろうけれども。
でも私は、吾妻ひでおの『翔べ翔べドンキー』という漫画で、男性が一生懸命イケようとしてるのに対してドンキーとよばれる可愛いがドンくさい女の子が「いっしょにいるだけで楽しいけどなー」と言い、相手もふとそこで力が抜ける、という展開がよかったなと今思ったりしています。映画「アメリカン・グラフィティ」の後半にもそういう場面がありましたね。
ただ『翔べ翔べドンキー』は、確かめてみると1980年になってすぐくらいに出ている漫画なので、まだその頃は縛りが緩くてそういったほのぼのした展開を許容できたのかとも思える。80年代的序列化に目を眩まされてくるとそんなの発想できなかったかも。
(この件、もう少し考えるとけっこうおもしろくなりそうなのでいずれ使おうと思う)
飽くまでもそういう過去と比較してみるとだけど、ともかく相手がいるという形はある程度クリアしたとして、それを80年代的なファッション煽動と無関係に描かれる、現在のユートピアが『のだめカンタービレ』と思う。
『のだめカンタービレ』で嬉しいのはいつも可愛い服着てるけど、それが80年代以前の「ジャンパースカート」(今もあるのか?)だったりするところ。
それと、のだめ自身の「わたしってどうよ?」的自意識を全く描写しないため、作内でも語られたように動物のような描かれ方をしているところでしょう。
今回はどちらかというと80年代のマイナス面のことになってしまった。いやそれだけじゃない話はまたいずれ。
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