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タイスの瞑想曲

2006年の主な執筆に関する回想

【雑誌系】

■怪談専門誌「幽」に「記憶/異変」第5・6回を連載。

■フリーペーパー版「早稲田文学」誌に「リテラリー・ゴシック」02~07を連載。

■ゴシックカルチャー研究会編「コムニオ」誌の第3号以後、監修をひきうける。

■「彷書月刊」誌3月号「特集 アドニスの杯」にエッセイ「遠い記憶として」を掲載。

■「群像」誌5月号に小説「石性感情」を掲載。

【単行本系】

■『ゴシックハート』三刷となる。

■Rebecca L. Copeland, edition 『 Woman Critiqued : translated essays on japanese woman's writing 』(2006 University of Hawai`i Press)に『少女領域』序章が翻訳の上収録される。

■東雅夫編『猫路地――猫ファンタジー競作集』(日本出版社)に秋里光彦名の小説「猫書店」収録。

■巽孝之・荻野アンナ編『人造美女は可能か?』(慶應義塾大学出版会)に批評的エッセイ「ゴシックの位相から」収録。

■一柳廣孝・吉田司雄編「ナイトメア叢書」(青弓社刊)の第2巻『幻想文学、近代の魔界へ』にエッセイ「ロマンティシズムの継承権」収録。

■二階堂奥歯著『八本脚の蝶』(ポプラ社)巻末に回想「主体と客体の狭間」収録。

■矢川澄子著『「父の娘」たち』の巻末解説を執筆。

■高根沢紀子編『現代女性作家読本⑦ 多和田葉子』(鼎書房)に評論「『三人関係』――名称先行主義宣言――」収録。

【予定・継続】

■トレヴァー・ブラウン著『RUBBER DOLL』(エディション・トレヴィル)に巻末エッセイ「不可知を手探りしてみること」執筆、1月頃刊行予定。

■穂村弘との共著『あこがれこざる』(白水社)……先は長い。

■『〈意外性〉の文学論(仮題)』(ミネルヴァ書房)に収録予定の依頼原稿「川端康成『みずうみ』について」を今年7月に送ったが、まだ刊行されていない。

今年はあんまり仕事しませんでした。来年はもう少し積極的になりたく思います。

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リトミカ・オスティナータ

ねこ年
とりわけ今年は(犬さんには敬意を示しつつ)ねこの年であったと思う。

今年5月、猫専門誌を出している日本出版社から東雅夫編の競作集『猫路地』が出た。
ここに佐藤弓生とともに参加した。
いいんだこれが。

今月、ある方から来年のカレンダー「日本の猫」(平凡社)をいただいた。
いいんだこれが。

12/28、唐沢俊一プロデュース・梅田佳声口演・紙芝居「猫三味線(「ねこさみせん」と読むのが正しいもよう)」を見に行った。
いいんだこれが。

梅田氏の芸は今年の「幽」イベントのおり確認済みなので安心して佐藤弓生とともに出向いた。場所、恵比寿・ザ・ガーデンルーム。
三時間、全600枚におよぶ紙芝居の通し公演というのはなかなかこの先も簡単には実現しないだろう。
物語はものすごくひどい話なのだがそういうところは歌舞伎とか説教節とか貸本漫画とかアングラ芝居とかと共通するもので今は忘れられかけた見世物の味わいあり、あきらかに江戸の怪談芝居の系譜をひいている。これ自体文化財的なものである。
絵はリアリズム調・劇画的でところどころ台詞が書き込まれている。
この種のものの常でつっこみどころはいくらでもあるが、それは誰か他の人にまかせるとして、ところどころきわめて心に残る絵があって巧みである。佐藤と自分は特に主人を殺された飼い猫が墓の前で泣くところにヒット。
それとやっぱり後半の主人公と言える猫娘の愛らしさかな。
悲しく哀れな出自だが徐々に狂暴になって超人的に復讐、そして最後はやはり悲しく締め、といったフランケンシュタインのモンスター的エスカレーションもよし。
さんざんにいじめられる猫と猫娘だが書き手にどこか「猫愛」のようなものがあっていずれも可哀想でかわいらしい。
梅田氏の語りはやはり巧いが、今年夏の公演の、十分余裕のある、より笑い多いそれを知っていると、これだけの長さのものを持続させるには余裕の部分をいくらか削らねばならず、かなり大変なのであったことがよくわかる。
それだけに得がたい機会とも言える。

ということでいい猫見ました今年。

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茨の冠

あたりまえなのだが「自分はこれが好き」ということから始めたい。

ともすれば「君たち、こういうのが好きなんだろう? 自分はそうは思わないけどさ、でも君たちの欲望なんてお見通しなんだよね」と言ってのけることに誇りを見出す、ということ、ないだろうか。そうした人々は自分の「好き」より、他者の欲望を「わかっている」と言明することによる優位さを愛しているのだ。

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むいむい

澁澤龍彦最後の新刊
単行本未収録作品のみの一冊『快楽図書館』(学習研究社刊)
本当に最後かどうかはともかく、堂々たる一冊の新刊としてこんな形ではもうあまり出ないでしょう。
中には全集未収録作もあり。
平凡社さんと並んでいい仕事してますね学研さん。

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デイドリーム

先日、平凡社の方から『澁澤龍彦の古寺巡礼』をいただいた。
実にいい本。

一緒にいただいた平凡社のPR誌『月刊百科』を見ていたら、あ、ここ、動物系カレンダー出してたんだった。
『ニッポンの犬』『むれねこ』など……いいですねこれ。
と思っていると『パンダカレンダー』というところに気になる宣伝文句が

「しのびよるパンダブーム」

http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/frame.cgi?page=browse.cgi&code=645021 

しのびよる?

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トリスタンとイゾルデ

実相寺昭雄氏が逝去された。深く追悼します。
今年は悲しいことが多い。

遺作となった『シルバー假面』の紹介を見ていていろいろ考えることがあった。
映画はまだ公開されていないが、そのサイトの予告にあるストーリーによれば、

http://www.silverkamen.com/silverkamen/

舞台は戦前1920年の日本およびドイツ、シルバー假面となるのは森鴎外とドイツ人女性(「舞姫」エリスである)の娘、若い日の江戸川乱歩が登場、変身はニーベルンゲンの指輪の力で、敵は巨大飛行船をあやつるカリガリ博士、部下・チェザーレ、宇宙人、鋼鉄の女性型ロボット・マリア等々、出来はまだ知らないが、こういう大掛かりな大法螺は私にはツボ。
この種の過去の恣意的な利用は、たとえば寺山修司の、自己のトラウマを埋めるための空しい、しかし真剣な「過去の改変」とは異なって、いわば遊びの領域だが、といって野田秀樹の芝居のような、多彩な物語イメージの自由なつぎはぎとも違う。
ある種の実証的ルールを守りつつパラノイアックな遊戯精神がうまく機能するとこういうことになるのではないかと思うが、といって、まだ見ていないので映画としてうまくいっているのかどうかはわからない、ただ私にはこうした過去の物語素の巧妙なパズル的組み合わせがとても好ましいということ。

フィクションと事実記録とで巧妙に編み出された、ありえないもうひとつの過去が懐かしい。
自分の場合、それはほぼすべて、1910~30年代日本のモダニズムとエログロの様式となる。
運がよければ近く、過去と記憶に関するエッセイを書くことになるだろう。続きはそこで語りたい。

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