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出語りいたせ

『月光果樹園』内容予告その4

■第七章、中井英夫、その身を裂くような痛々しさから、柘榴(ざくろ)とする。
「困難な智」、『無垢の力』の末尾に本来入るべきであったが外的事情から収録されなかった評論「世界の敵」の簡略版とでもいうべきもの。中井英夫のグノーシス的思考について。
「文人と幻想文学者の間」、「月蝕領崩壊」を中心に。この集中最も長い。

■第八章、横光利一、どことなく世慣れない書生のようなイメージで無花果(いちじく)とした。
「横光運命説」、中井英夫の章に続けて読んでいただきたい、近代的世界観と実存との葛藤。横光利一の文学に詳しい人からは勝手なところだけ見すぎと言われるかもしれない。

■第九章、坂口安吾、ある清涼感と肉感との矛盾しつつの美観を棗(なつめ)としてみた。
「無垢を排除せよ」、ここにきて幻想文学礼賛の立場を真っ向から批判するような、中では最も異端の評論。しかし、いつも同じことばかり言うよりはよいと思うがいかがだろう。

■第十章、三人の非常に修辞に長けた幻想文学作家に言及した章。楊貴妃が愛したという茘枝(れいし)=ライチを章題とし、甘くそこはかとない退廃と歴史の深みを含ませてみた。
「もの見えず執深く」、赤江瀑の作品について。その近代的な視界の否定。
「攫われてゆくことの歴史とその継承」、須永朝彦、ヨーロッパ世紀末と日本の70年代との響きあい。
「半分嬉しく半分悲しく」、日影丈吉、価値をわかるべき名文名作、そしてその周知の遅れによる悲劇。この件は多くの幻想文学者にあてはまるところではないかと思う。

以上十章にまえがきとあとがきを加え、さらに章ごとの巻頭にテーマにあわせた詩歌を付す。

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どちらまで

『月光果樹園』内容予告その3

■第四章、稲垣足穂に関する章で、私の感じるところではその形、そして固く乾いた性格から巴旦杏(はたんきょう)を題とした。
巴旦杏(ばたんきょう)はスモモの一種のことでもあるらしいがここではアーモンドの意味としておきたい。

「未来基準」は足穂が未来派を自認した頃に形成された、今はない「希望の地平」について。
「足穂と童話」は題名どおり、足穂にとって童話とはどんな意味合いだったかを記す。こちらも未来派的な意味で求められる童話とは、といった話になっている。なお、これが掲載されたさい、以前ここにも告げたとおり、一部大きな誤りを記している。収録にあたり訂正したが、初出ではその部分に誤りがあったという件を明記した。
「六月の夜の都会の空」は足穂をテーマにした小説。評論集に一篇だけ小説、というのはどうかと思ったが、足穂に関する視線がよくうかがわれるという編集の方の奨めで収録することにした。

■第五章、澁澤龍彦について。ここの題名は、澁澤の地中海的な志向の部分をオリーブで象徴しようと「橄欖(かんらん)」としてみたところ、実は橄欖は別の樹木で、オリーブを「橄欖」と書くのは誤りとわかった。しかしそのカンランという大きな、ひろがりのある音、澁澤龍彦の名に似て複雑な、画数の多い漢字を捨てがたく、橄欖樹(かんらんじゅ)として生かすことにした。

「澁澤=サドの遊戯作法」は初めて澁澤について書いた文。澁澤の受け取ったサドの特質について。ブランショ、バタイユ、クロソウスキー、ドゥルーズ、バルトなどをけっこう学んで書いた記憶がある。
「澁澤龍彦と世紀末」こちらは題名のように、特に六〇年代の澁澤にとっての世紀末とは、というもの。このときはマリオ・プラーツ、ジャン・ピエロ、といった方向で書いている。特に名は出していないが吉田健一の「ヨオロッパの世紀末」も参照している。
「奇獣たちの静かないざない」、「高丘親王航海記」について。この中では最もエッセイに近い書き方をしたもの。

■第六章、矢川澄子について。題名「桜桃(おうとう)」はその人のイメージのとおりと思う。

「過つ権利」、矢川の初期の短篇「臨終の少女」について、かつてご本人にお送りした手紙に記した意見をもとにして書いた。後に、これを読んだ、ある女性作家が強い同意を示してくれた。
「『父の娘たち』を語ること」、平凡社ライブラリー収録の「『父の娘』たち」の解説だが、これが縁となって平凡社から今回の評論集を刊行していただけることになったのだからありがたいことだ。今回収録にあたり、題名を少し変えた。

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乱調なれど

『月光果樹園』内容予告その2

■第三章は複数の作家それぞれについて言及した章。同じく複数の作家について記した第十章と比べ、どちらかと言えば若さと現在とを意識し、アクチュアルな対象として見ているところ、青年にとって、永遠の抵抗であり爆弾であるところの檸檬(れもん)を章題とした。

「生涯一憧憬者・岩井俊二の小説」は題名どおり、映画監督岩井俊二が小説として発表した作についての文で、特に『ウォーレスの人魚』『リリィ・シュシュのすべて』が中心。『リリィ・シュシュ』は映画とその原作にあたる小説とではストーリーにやや違いがある。今顧みるとやはり『ウォーレスの人魚』がよくも悪くも作家岩井俊二の志向のあり方をよく示していると思う。

「『バガージマヌパナス』ヌパナス」は池上永一の小説「バガージマヌパナス」、栗原まもるによるその漫画化作品について。「バガージマヌパナス」というのは沖縄の言葉で「わが島の話」という意味だそうで、つまりこれは「『わが島の話』の話」ということ。

「アンドロギュヌス・ロマンティック仕様」は松村栄子の『紫の砂漠』がハルキ文庫に収録されたさい、依頼されて書いた解説。私は松村の芥川賞受賞作「至高聖所(アバトーン)」をとてもよい作と思うが、当時、「ニューアカ」の一員を自認し、「高級作家かどうか、俺が決めてやる」と言わんばかりの批評家が松村を頭から軽んじた言い方で評していたことにうんざりした記憶がある。その批評家の信奉する「高級さ」がどれほど大切なものか。こういう現場を見ているから、私はだんだん、時流に合わせてコメントを要求される形式の文芸批評を真剣に行なうに値しないと感じるようになった。

「小川洋子の記憶」は先に三省堂版高校国語指導書に一部引用を許したとしてここにも一部記載した。「博士の愛した数式」「密やかな結晶」「アンネ・フランクの記憶」を主な例として記す。

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見ずや空

『月光果樹園』内容予告その1

■第一章は全編の開始を告げる意味で、古代ケルト世界では魔術的な果実とされたとも聞く「山査子(さんざし)」を章題とした。
「ロマンティシズムの継承権」はイントロダクションとして、幻想文学という曖昧な、ジャンルとも言えないジャンルのとりあえずの定義をひとまず考えた上で自らの志向の位置といったところを記す。なお、幻想文学についてのさらに明確な定義は第七章、中井英夫に関する「文人と幻想文学者の間」に書かれる。
「遠い記憶として」は1960~70年代、その置かれた状況から、現実的意味とはやや別の形で、幻想文学に接近しがちな「幻影の性」として機能することのあった男性同性愛への美的幻想とその受容例の報告。
■第二章、「形而上憧憬症候群」は、尾崎翠と、その世界への感じ方を受け継ぐ主に女性の幻想文学者の系譜について。一章でのロマンティシズム・様式意識、幻影の性への憧憬、とともにさらに徹底した形而上的なものへの憧憬のありかたを辿る。
その豊饒さ、そして人為により変容し、時に貴重な美酒となるといった性質から、この章は「葡萄(ぶどう)」とした。

以上二章までがある程度全体的な幻想文学概観となります。

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知るや君

『月光果樹園』題名の由来

 一九八七年から二〇〇七年までの二十年間に生じ、雑誌等に掲載のまま単行本としては未刊行だった評論のいくつかを、昨年、ある人が果実にたとえてくれた。

 稲垣足穂は確か、どこかで、「お日様よりお月様のほうがいい」と書いていた。
 私にとって幻想文学というのは、たとえばそれが果実であるのなら、白い冷たい月光の降る世界で育った実のように思える。
 こうして「月の光で育ったくだものの園」といった題名を考えた。

前書き「月光果樹園園丁より」から抜粋

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望みてし

『月光果樹園』予告

これまで約20年間に発表された主要評論の集成。
今年5月に平凡社から『月光果樹園 美味なる幻想文学案内』として刊行予定。
題名にあわせ、各章に果実の名が付される。

以下に目次と初出、および各章で言及される作家等を記します。

第1章 山査子(さんざし)
          【三島由紀夫サークルの幻想文学者たち】
■「ロマンティシズムの継承権」 2006年5月 青弓社刊『ナイトメア叢書2幻想文学、近代の魔界』
■「遠い記憶として」 2006年2月 彷徨舎刊「彷書月刊」

第2章 葡萄(ぶどう)
          【女性幻想文学者たち】
■「形而上憧憬症候群」 2006年6月 アトリエOCTA刊「幻想文学」58号

第3章 檸檬(れもん)
          【岩井俊二/池上永一/松村栄子/小川洋子】
■「生涯一憧憬者・岩井俊二の小説」 2001年10月 キネマ旬報社刊『キネ旬ムック フィルムメーカーズ[17]岩井俊二』
■「『バガージマヌパナス』ヌパナス」 2001年8月 青土社刊「ユリイカ」
■「アンドロギュヌス・ロマンティック仕様」 2000年10月 角川春樹事務所刊ハルキ文庫『紫の砂漠』
■「小川洋子の記憶」 2004年2月 青土社刊「ユリイカ」

第4章 巴旦杏(はたんきょう)
          【稲垣足穂】
■「未来基準」 2005年2月 筑摩書房刊ちくま文庫『稲垣足穂コレクション2ヰタ・マキニカリス[上]』
■「足穂と童話」 2007年3月 平凡社刊コロナブックス『稲垣足穂の世界 タルホスコープ』
■「六月の夜の都会の空」 1987年12月 幻想文学会出版局刊「別冊幻想文学③タルホ・スペシャル」

第5章 橄欖樹(かんらんじゅ)
          【澁澤龍彦】
■「澁澤=サドの遊戯作法」 1989年2月 幻想文学会出版局刊「別冊幻想文学⑤澁澤龍彦スペシャルⅡ」
■「澁澤龍彦と世紀末」 1990年6月 国書刊行会刊『フランス世紀末叢書第14巻』月報
■「奇獣たちの静かないざない」 2002年7月 アトリエOCTA刊「幻想文学」64号

第6章 桜桃(おうとう)
          【矢川澄子】
■「過つ権利」 2002年10月 青土社刊「ユリイカ10月臨時増刊 総特集 矢川澄子・不滅の少女」
■「『父の娘』たち解説」 2006年7月 平凡社刊平凡社ライブラリー『「父の娘」たち』

第7章 柘榴(ざくろ)
          【中井英夫】
■「困難な智」 2002年9月 弘隆社刊「彷書月刊」
■「文人と幻想文学者の間」 2003年10月 東京創元社刊「創元ライブラリ 中井英夫全集[9]月蝕領崩壊」

第8章 無花果(いちじく)
          【横光利一】
■「横光運命説」 1999年11月 早稲田文学会刊「早稲田文学」

第9章 棗(なつめ)
          【坂口安吾】
■「無垢を排除せよ」 2000年5月 早稲田文学会刊「早稲田文学」

第10章 茘枝(れいし)
          【赤江瀑/須永朝彦/日影丈吉】
■「もの見えず執深く」 2000年2月 アトリエOCTA刊「幻想文学」57号
■「攫われてゆくことの歴史とその継承」 1997年3月 国書刊行会刊『須永朝彦小説全集』栞
■「半分嬉しく半分悲しく」 2003年8月 国書刊行会刊『日影丈吉全集第3巻』月報

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