どちらまで
『月光果樹園』内容予告その3
■第四章、稲垣足穂に関する章で、私の感じるところではその形、そして固く乾いた性格から巴旦杏(はたんきょう)を題とした。
巴旦杏(ばたんきょう)はスモモの一種のことでもあるらしいがここではアーモンドの意味としておきたい。
「未来基準」は足穂が未来派を自認した頃に形成された、今はない「希望の地平」について。
「足穂と童話」は題名どおり、足穂にとって童話とはどんな意味合いだったかを記す。こちらも未来派的な意味で求められる童話とは、といった話になっている。なお、これが掲載されたさい、以前ここにも告げたとおり、一部大きな誤りを記している。収録にあたり訂正したが、初出ではその部分に誤りがあったという件を明記した。
「六月の夜の都会の空」は足穂をテーマにした小説。評論集に一篇だけ小説、というのはどうかと思ったが、足穂に関する視線がよくうかがわれるという編集の方の奨めで収録することにした。
■第五章、澁澤龍彦について。ここの題名は、澁澤の地中海的な志向の部分をオリーブで象徴しようと「橄欖(かんらん)」としてみたところ、実は橄欖は別の樹木で、オリーブを「橄欖」と書くのは誤りとわかった。しかしそのカンランという大きな、ひろがりのある音、澁澤龍彦の名に似て複雑な、画数の多い漢字を捨てがたく、橄欖樹(かんらんじゅ)として生かすことにした。
「澁澤=サドの遊戯作法」は初めて澁澤について書いた文。澁澤の受け取ったサドの特質について。ブランショ、バタイユ、クロソウスキー、ドゥルーズ、バルトなどをけっこう学んで書いた記憶がある。
「澁澤龍彦と世紀末」こちらは題名のように、特に六〇年代の澁澤にとっての世紀末とは、というもの。このときはマリオ・プラーツ、ジャン・ピエロ、といった方向で書いている。特に名は出していないが吉田健一の「ヨオロッパの世紀末」も参照している。
「奇獣たちの静かないざない」、「高丘親王航海記」について。この中では最もエッセイに近い書き方をしたもの。
■第六章、矢川澄子について。題名「桜桃(おうとう)」はその人のイメージのとおりと思う。
「過つ権利」、矢川の初期の短篇「臨終の少女」について、かつてご本人にお送りした手紙に記した意見をもとにして書いた。後に、これを読んだ、ある女性作家が強い同意を示してくれた。
「『父の娘たち』を語ること」、平凡社ライブラリー収録の「『父の娘』たち」の解説だが、これが縁となって平凡社から今回の評論集を刊行していただけることになったのだからありがたいことだ。今回収録にあたり、題名を少し変えた。
| 固定リンク
最近のコメント