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麗(くは)し女(め)なりき

純文学の世界では特に二年くらい前から、小説を書くことと評論を書くことの意識の差について語られることが多い。
先日、青山ブックセンターでの『文学賞メッタ斬り! 2008年版 たいへんよくできました編』の刊行記念鼎談(著者、大森望・豊崎由美両氏、および「早稲田文学」編集の市川真人氏による)を聞きに行ったら、トークショーのあと、市川(=前田塁)さんから、「高原さんはそこんとこ、どうなの?」と訊かれた。
これは私が小説と評論とを同時に書き続けていることへの問いで、評論を書く意識と小説を書く意識とはどう違うのか、あるいはどこが同じなのか、といった意味だ。
この件はちょうど考えていたことなので、『月光果樹園』のあとがきにもいくらか記した。
それで市川さんには「今度の本に書いてあるよ」と答えたのだが、ひとまず、該当部分を掲げておく。

「幻想文学」や「ユリイカ」あるいは「早稲田文学」に評論を書いていた頃、ひとことではとても言えないけれども、自分の思考もしくは志向の奥に、複雑な綾模様のような何かがあることを予感した。正確に言い当てようとすると、たとえば立体を平面に描こうとするときのように、一面は詳細に描けても全体を一度に語ることができない。それは無数の局面を持っていて、条件と場合とによってまるで異なった立ち現われ方をする。しかも形や原則が予め決まっているわけでもなく、書き続けることによってしか見えてこない。そしてある程度できあがった後になってようやく他との連関が見出せるのだった。
 私の表現行為は、この何かの一端を示唆することだけに向いている。それは私個人のものとも言えないような、ときには文化史的な背景にかかわる部分もあるらしいし、また、フィクションとして提示するほうが似合うこともあれば、論理的に語るのが相応しい場合もあった。その意味で私にとって小説を書くことと評論を書くこととに差はない。言い換えるなら書いたものが小説と分類されることも評論と分類されることも私には便宜でしかない。これもまた稲垣足穂の例を示せばわかっていただけると思う。足穂が生涯を通じて成し遂げたかったことは小説的完成でもないし理論の精密化でもない。その作品はすべて彼の、ある切実な「とらわれ」をどうにか形にして描こうとした結果と私には思える。こういった理由で文学の仕事を続ける者もいると知っていただきたい。

これで説明になっているかどうかは心許ないけれども、よろしくご判断ください。

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