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頭も高き

昨日は早稲田大学で批評祭りでしたが、いずれ記録が「早稲田文学」に掲載されるというし、ネット上にもさまざまなレポートが出るだろうから内容報告は他の方に任せます。

やはり事実として文芸批評というものが特別のジャンルとして歓迎されたのは80年代くらいだけで、それ以前も以後もほぼ、文芸誌のための下仕事のようなものだ的状況であることを再確認した。
だから自分のメディアを持たないと自由な批評なんてできないんだよ。

書評・レビューの話になるときわめて実務的なわかりやすさになる。

文芸評論家としての渡部直巳と福田和也の話はそれぞれに誠実であるとしても、どこかで文学史への強い信仰がある。
それは「批評は小説よりも高級である」という福田の言葉に最もよく表される。
なぜ批評は小説より高級と言うかといえば、それがもともと稗史たる小説を文学史という正史に組織しなおす契機を隠し持っている、と暗黙の内に確信されているからだ。
つまり、以前、私が、もう今はないと告げた種類の批評家のメンタリティがこの二人の中には歴然として存在する。

ところで私がここで最も切実なものとして聞いたのは池田雄一の
「もっとゆっくり話せる場でやろうよ」
という意味の発言でした。
東浩紀をはじめとする早口の人たちの間で、これは耳を傾けるべき言葉じゃないのかな。

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