知るは華、知らぬも華
事実と真実はときに大きく異なる。
事実を事実のままに示せば解決する場合ばかりではない。
そういうとき、事実を真実に合わせて調整してみせる人が必要となる。
作家の仕事とはこうした営為の一環である。
常にではないが、事実より切実な嘘は確かに存在する。
| 固定リンク | トラックバック (0)
事実と真実はときに大きく異なる。
事実を事実のままに示せば解決する場合ばかりではない。
そういうとき、事実を真実に合わせて調整してみせる人が必要となる。
作家の仕事とはこうした営為の一環である。
常にではないが、事実より切実な嘘は確かに存在する。
| 固定リンク | トラックバック (0)
祝! 楳図かずお先生勝訴
原告側はこの先、楳図ファンの最憎悪敵として永遠に名が残りますよ。永遠に名が残るっていいことですね、原告のみなさまもおめでとう。
| 固定リンク | トラックバック (0)
トーキングヘッズ叢書(TH Series) No.37
「特集・デカダンス~呪われた現世を葬る耽美の楽園」
1/29、店頭に並ぶとのこと。
ここには「退廃いまむかし、あるいは三島由紀夫の投機」を掲載。
| 固定リンク | トラックバック (0)
よい記憶とは厭な部分が編集された記憶である。
よい記憶を得るためにはより多く忘れる必要がある。
懐かしさとは、生きた日々の恥辱と過ちの具体的な忌まわしさが忘れ去られた、美しい記憶の死体を愛することではないか。
| 固定リンク | トラックバック (0)
千石英世・千葉一幹編
『ミネルヴァ評論叢書〈文学の在り処〉別巻3 名作は隠れている』
(ミネルヴァ書房)
税込価格: \2,625 (本体 : \2,500) ISBN : 978-4-623-05245-5
ようやく刊行。
帯文「ここに見つけた!意外な名作」
目次は以下のとおり。テキストの作者・作品名・執筆者の順
1 宮沢賢治「やまなし」 千石英世
2 カフカ「父の気がかり」 室井光広
3 坂口安吾「街はふるさと」 千葉一幹
4 ドストエフスキー「分身」 山城むつみ
5 ゾラ「ボヌール・デ・ダム百貨店」 宮下志朗
6 森鷗外「有楽門」 美留町義雄
7 夏目漱石「坑夫」 芳川泰久
8 江戸川乱歩「蜘蛛男」 藤井淑禎
9 グラック「シルトの岸辺」 三ツ堀広一郎
10 岡本かの子「夏の夜の夢」 高頭麻子
11 野上弥生子「縁」 平井杏子
12 フローベール「ブヴァールとペキュシェ」 山崎敦
13 川端康成「みずうみ」 高原英理
14 メルヴィル「バートルビー」 橋本安央
15 谷崎潤一郎「過酸化マンガン水の夢」 千葉俊二
16 室生犀星「蜜のあわれ」 伊藤氏貴
17 吉行淳之介「家屋について」 芳川泰久
18 プラムディヤ「人間の大地」四部作 押川典昭
19 日野啓三「七千万年の夜警」 中村邦生
20 三島由紀夫「命売ります」 千葉一幹
| 固定リンク | トラックバック (0)
言語は情報伝達に必要不可欠なものだが、私たちがそれを効率的な情報のやりとりのみに用いることは意外に少ないのではないかと思う。
非常に多くの場合、それは「思いを伝える」「共感を得る」といったような、価値ある情報を広めることとは別の目的のもとに使用される。あるいは「自己の存在意義のアピール」という他者には意味の乏しい場合もある。
しかしこうした効率の悪い言語使用の度合いがこの先も変更されることはないだろう。無駄の多さが言語使用の本質であるようにも思う。
そのあり方はたとえば、事実かどうか私にはわからないが「人間は普段脳の大半を活用していない」といったようなことがあるとしたら、それと並行するもののような気もする。
またそれは「人はパンのみに生くるにあらず」と言われるところのひとつの事実でもあるように思う。
ならば言語ある限り、文学はなくなることがないというわけだ。そのことの、わずらわしさと不快さ、見栄えの悪さをどれだけ嫌うとしても、人はすっきり必要不可欠なだけの存在にはなりえないということだ。
| 固定リンク | トラックバック (0)
そういうわけで『芋虫 江戸川乱歩ベストセレクション2』をひとまず一冊購入してみたわけだが、まず田島昭宇の表紙が優れている。乱歩の文庫ではこれまで、春陽堂文庫の多賀新による表紙画が優れたものとして知られてきたが、田島氏のは、多賀氏のような、テクストに直には沿わない形の細密画で飾る方向と異なって直球だ。そのまま「芋虫」にあったかも知れない一場面を描いている。しかし、色を薄くしたこともあって、過剰なエログロではない。リアルだが上品といったところ。
解説は三津田信三氏。短いが手際がよい。
ページ数は196。最近のならいどおり字は大きめで読みやすい。
もうひとつ気づいたのは今回から、底本を光文社版『江戸川乱歩全集』としていることで、あの全集はテクスト・クリティックの点でこれまでのいずれのものよりも徹底しているから当然ではある。
実を言えば、あれでも敢えて「最小限度の手心を加えざるをえなかった」部分が僅かにある様子だが、ともあれ大衆文学作家でここまで綿密な本文批評のもとに全集の出される作家は非常に少ないはずだ。
この先、新編集として刊行される乱歩の本はほぼ光文社版全集を参照することになるだろうし、思えば偉大な事業だった。
乱歩は大嫌い、という人に、これまで会ったことがない。好きだという人は数知れず、しかも入れ込みようの深い人が私の周囲には多い。
「江戸川乱歩・楳図かずお・ウルトラQが自分の原点」といった意味のことを言っておられたのは綾辻行人氏だっただろうか。その点は私も全く同じだ。
| 固定リンク | トラックバック (0)
たまにちょいと長い乱歩話。
今年も武蔵野大学で教える。
例年どおり、江戸川乱歩の短篇・中篇のとりわけ怪奇寄りのものをテキストとする授業がひとつある。
ところが、これまで最も適当なテキストとして用いてきた角川ホラー文庫版『鏡地獄―江戸川乱歩怪奇幻想傑作選』が絶版となったため、新たなテキストを考えねばならない。
旧角川ホラー文庫版『鏡地獄』の収録作は以下のとおり。
■人でなしの恋
■人間椅子
■鏡地獄
■芋虫
■白昼夢
■踊る一寸法師
■パノラマ島奇談
■陰獣
実にいい選択で、「怪奇幻想傑作選」の名に恥じない。
ここに「押絵と旅する男」「目羅博士の不思議な犯罪」「蟲」といったところが加わっていればもう言うことはないが、それは仕方なしとして、いわゆる「本格推理」を中心とせず、粒ぞろいの怪奇幻想物だけをコンパクトに選んだ無駄のない作品集として重宝させてもらってきた。
もっと多くの怪奇作品を網羅したものではちくま文庫版『江戸川乱歩全短篇〈3〉怪奇幻想』があって、これが一番ではあるのだが、若干価格が高くて、しかもこの収録作品全作に言及することはまずできないのと、「パノラマ島奇談」が長篇の扱いのため収録されておらず、その意味では、とてもよい作品集ながら、授業で使うという観点からは半分くらいしか生きてこない点が残念。
さて、そういうわけで、より手軽な次の候補として考えられるのは、角川ホラー文庫での新編集版『芋虫 江戸川乱歩ベストセレクション2』ということになった。
収録作品は
■芋虫
■指
■火星の運河
■白昼夢
■踊る一寸法師
■夢遊病者の死
■双生児―ある死刑囚が教誨師にうちあけた話
■赤い部屋
■人でなしの恋
まず何より非常に安く、500円と少々、というのがありがたい。
かつ、旧『鏡地獄』に似た選択なのと「指」「火星の運河」「赤い部屋」の収録が嬉しい。
ただ、「夢遊病者の死」「双生児」はさほど重要と考えないのであまり授業では言及はしないと思う。つまり、私の授業ではここにあるふたつほどがやや無駄になる。
むろん、乱歩の作品は授業で語らなくてもどれを読んでもおもしろいのだから、別に損ではないのだが、旧『鏡地獄』ほどに無駄のないテキストとならないのがやはり残念。
「鏡地獄」「人間椅子」がないのも痛いし、せっかくの名中長篇「パノラマ島奇談」「陰獣」がなくなったのも惜しい。
ただまあ価格の安さを考えて、今年はこれにしようと思うが、もうひとつ、光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男』という案もなくはない。
収録作は
■押絵と旅する男
■蟲
■蜘蛛男
■盲獣
という思い切って突出したものばかり。
むろんこれは全集の中の一冊だからアンソロジー的意図のもとに収録されたのではなく、ほぼ同時期の長篇短篇を各巻のページ枠にあてはめた結果のいわば偶然に近いものだが、しかし幻想的短篇では最高とされる「押絵と旅する男」、グロテスクの極み「蟲」、通俗長篇としては記念碑的な「蜘蛛男」、そして遂に一線を越えたとも言える乱歩最高の超絶エログロ「盲獣」となると、それこそまるで無駄がない。すべてがお薦めだ。長篇ふたつに短篇ふたつというのもバランスがよくて、来年も続くようならこっちにしてみようかなとも考えている。
というわけだが、もし私が大学での自分の授業向けに短篇限定で江戸川乱歩の作品を編むとすれば次のようなものになる。
■押絵と旅する男
■芋虫
■指
■火星の運河
■白昼夢
■人でなしの恋
■人間椅子
■鏡地獄
■踊る一寸法師
■赤い部屋
■お勢登場
■蟲
■目羅博士の不思議な犯罪
これで700円くらいとしてみたらどうだろう。
「二銭銅貨」「D坂の殺人事件」「心理試験」といったのも悪くはないが、そういう系列は全部別にした場合の短篇集がこんなところなので、どこか、この収録作で文庫として一冊、「江戸川乱歩怪奇幻想短編集」を出してくれないものだろうか。
| 固定リンク | トラックバック (0)
実家で飼っている猫は、実質としては放っておけば生き延びることも難しかったくらい弱いのだが、私の父が非常に可愛がって保護しているので、タフな野良猫よりよほど安楽に長生きするだろう。
単体としての実力よりも、父に出会うという運のせいでともかくもよい生を得ることができたと言える。
それが永続的なものでないとしても、人間の関与というのはときに反自然的な、また反弱肉強食的な結果をこの地にもたらすものだという実例だ。ここに人の不思議さがあると思う。人がいることで局所的にエントロピーが減少するという話もあった。
以上エッセイ「猫の話」、本文には加えなかった前文。
| 固定リンク | トラックバック (0)
最近のコメント