« 縷々語りつつ | トップページ | 狂おしく »

つつましく

穂村弘が以前「村上春樹を読んでとても苦しいところに追い詰められた。登場人物も読者も傷つかない、素敵なものだけでできている世界を見せられて、それ以外のルートが見えなくなった」というようなことを言った。
私も村上春樹は読んだが、彼のように苦しいところに追い詰められたという記憶はない。
ただ、今思えばある時期、池澤夏樹の『スティル・ライフ』が私にとっては躓きの石であったことが感じられる。
それは素敵な世界だからというよりも、限りなく自由を求めて都市を浮遊する存在を理想として描くことができるかも知れないという期待を持たされたからだ。そしてその期待は、「描くべきよきもの」を強固に規定した。
だが、実は『スティル・ライフ』はごく危うい均衡によってだけ成立する幻で、全く幻でしかなく、その唆す理想的意識を『スティル・ライフ』の作者以外がもう一度示すことはできないものだ。
私にはそれがわからず、いつまでも都市の自由を最高の境地として描こうとする願望が残り、それが私の書くフィクションをドグマティックにしていた。つまりそれはプロパガンダ小説のようなもので、理想として描くべき何ものかが予め決定していたから、本当に小説を書くという行為に至ることができなかったのだ。
ようやくそれを免れたのは自覚によってではなく、実社会とその状況が、80年代的な「都市の浮遊生活の自由」など根底から許さなくなったことによる。世界の根元的な不自由が身に感じられてようやくその幻の理想から解放された。
私の場合は、80年代的・ブルジョワ左翼的な「高級な自由」への憧れが、予め目的を定めずに書く行為そのものの自由を阻害していたのだ。
といって、今、池澤夏樹を否定する気はまったくない。今も池澤夏樹は優れた作家であると思うし『スティル・ライフ』は優れた作品だと思う。不景気になった状況こそが「本来の現実」とも思わない。もともと自由の幻影を望むのは人の本来のあり方だ。その幻に幻惑された人を多く生産したからその作者を非難すべきとは思わない。
ナチスに利用される余地を持ったニーチェの思想のように、ある突出したものはそれによって堕落させられる劣等な人々を常に生む。
ともあれ、今、なんとか書くことをやり直している。
幻は忘れない。だが信じもしない。

なお、毎日新聞社の「本の時間」6月号はもう各書店に置いてあるそうです。ご興味のある方はご覧ください。内容についても記そうと思ったが、ここでは敢えて書かないことにしました。

|

« 縷々語りつつ | トップページ | 狂おしく »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/187731/45065000

この記事へのトラックバック一覧です: つつましく:

« 縷々語りつつ | トップページ | 狂おしく »