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瑠璃色に眼染める夢の夜明けかな

もひとつ、歌人の雪舟えまさんのところの掲示板でもご紹介いただきました。
深く御礼です。
しかもそこで雪舟さんからリクエストをいただきましたので、2/13、「うさと私」も朗読決定。
せっかくですから刊本に収録されていない、刊行後に書かれた続編も加えて朗読しようと思います。

雪舟さんはご自身、朗読の名手で、定評ありますね。
2/28にはこちら、ご予定とのこと。1/30にも朗読なさるそうですが既にキャンセル待ち状態だそうです。

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ややもしてみる

1/25の記事、さっそく
nawonさんと
樋口ヒロユキさんに
つぶやいていただきました。
さらに、
ヴリル協會さんにもご紹介いただきました。
ありがとうございます。

しかも
同じヴリルさんのところでお教えいただいたんですが、紀伊国屋新宿本店では
今、こんなこと

2/17まで、ここには、なみいる名著とともに
『ゴシックハート』『ゴシックスピリット』、並んでるようですね。
(でも、あの、↑できれば『ゴシックハート』、書影お願いしたいですけど)
それに樋口さんの
『死想の血統―ゴシック・ロリータの系譜学』も。
知らなかった。近々行くつもり。

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礼楽の響かうや

「きのこ」そのほか朗読と談話会 というのをやってみようと思います。
日時 2010年2月13日(土曜日)17:00~19:00
場所 カフェ百日紅(ひゃくじつこう) ℡03-3964-7547
    板橋区板橋1-8-7 小森ビル101
    JR板橋駅西口徒歩4分 東武東上線下板橋駅徒歩3分 都営三田線新板橋駅A3出口徒歩6分
ここの下のほうにある地図参照↓
http://d.hatena.ne.jp/communio2005/20091003/1254539943

料金 無料 ワンドリンクサービス付き(コーヒーまたは紅茶、一杯のみ無料です)
定員 先着15名様

「文學界」2月号掲載「日々のきのこ」抜粋朗読、を予定していますが、適当に一部紹介程度でもいいかな。
あとはご来場の皆様のご希望次第で、できるだけご興味にかなうお話をいたします。
ゴスについて、幻想文学について、少年少女アートについて、澁澤龍彦、中井英夫、江戸川乱歩、稲垣足穂、塚本邦雄、三島由紀夫、尾崎翠、森茉莉、など。吸血鬼、人造人間、妖怪、怪談、怪獣、ホラー映画など。

しばらくして詳細が決定したらまたお知らせします。

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庭広くあれ

↓知る限り、内容に詳しく触れていただいた初の評 御礼です。

http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20100119

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ぬらりひょん的に

「日々のきのこ」冒頭部分だけご紹介

 バスに乗ると中は空いていた。走り出すと車内は暗くなり、窓の外には薄明の朝が見える。生白い空に向かって茸の巨木が一本立っているのが見える。真っ直な電柱を思わせる胴の上にベルのような大頭が揺れている。
 家が朽ち果ててがらがら崩れるのが見える。
 外の景色には太陽もなく、ただ白い。人の気配がない。
 窓からの光はおそらく光苔のような蘚類だか菌類だかの発する燐光なのだ。――私はあの巨きな茸が首を振りながら高々と立っているのも予想していたし、茸や苔の群れの中へと突き進んでゆくバスの中には今に誰もいなくなってしまうこともわかっていた。――確かに人々はいなくなった。初めからいなかったのかもしれない。

「文學界」2月号に掲載

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天使降りきぬ

アミガサタケというのも印象深い。
ご存知オールディスの『地球の長い午後』で、主人公に取り付く知能きのこだ。
後になって、人類進化は実ははるか昔これに取り付かれたからだとかいう話も出ていたように記憶する。
アミガサタケは実際にあるきのこだが、もちろん人に取り付いて意志を動かすようなものではない。
ただこの姿が脳のようでもあり不思議なのできっとそこから考えられたものだろう。
そういえば、「ウルトラセブン」に出てくる頭でか宇宙人チブル星人というのがちょっとこれに似た頭をしていたように思う。

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日月(じつげつ)に営みて

大槻ケンジ(ヴォーカルのときはケンヂ)の詩「マタンゴ」の末尾、マタンゴが胞子を振りまく擬音がとてもよい。

タパタパタパタパタパタパタパタパ

ての。


さて、「日々のきのこ」掲載を記念して、1/15(金)20:00から
板橋駅近くのカフェ百日紅(ひゃくじつこう)というお店でささやかにきのこ談話会を開催することになりました。

参加費無料。ワンドリンクオーダー料金のみ。
きのこ図鑑、きのこ書籍、「菌類のふしぎ」展などのきのこ話、あるいはきのこグッズ披露、等予定。
きのこ好きの方・「日々のきのこ」お読みの方はおいでいただくだけで歓迎いたします。

ここでは昨年11月から毎月一回、お集まりの方々とちょっとしたお話などをしています。
なお、来月2月の百日紅会は、「日々のきのこ」抜粋および「うさと私」等朗読の予定。

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忘れまじ

やはり映画「マタンゴ」の影響は大きい。
幼少時、異様にぼこぼこのものがいっぱい頭から出ている怪人の写真を用いたポスターを見た記憶がある。あれがキノコ人間だったというのは後で知った。そういえば、ポスターの下の方に、手足のある、傘の大きなキノコたちが腰ミノをつけて踊っている絵があったのではなかったか。
まさか。そんなのお笑いではないか。ドリフみたい。いやしかし、別のポスターかも知れないが、何かそういう、膝の抜けそうな、あれー、な絵のあるポスターがあったのを確かに憶えている。
随分後になって池袋の旧文芸坐で「マタンゴ」を見た。
内容はホラーなのに、始まりのところがまるで「海の若大将」みたいな青春謳歌的な綺麗な海とヨットの映像に明るい音楽だったのが意外だった。

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たのしげの対話

キノコについていろいろと談笑した末に、「キノコ好きの音楽家とは珍しい。あなたにとってキノコはどんなかかわりがあるのか」と尋ねたら、ケージさん曰く、「これはしたり、あなたのような博識家とも思えぬご質問だ、お手許のエンサイクロペディアを開いてご覧なさいな。mushroomとmusicとはすぐ隣あわせですよ」と答えられ、お互いに大笑いしたという。(今関六也・本多修朗『風流キノコ譚』より)

1965年頃、来日したジョン・ケージが日本の菌類学の第一人者である国立科学博物館の小林義雄博士を訪ねたときの話。これも飯沢耕太郎氏のご教示による。
このmushroomとmusicの隣接関係はケージが他で何度も語ったことという。

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きのこ、生えました

本日発売の「文學界」2月号に掲載されている「日々のきのこ」の第一章は「序曲」という題名で約30年前に書かれた。
その後、十数年ほど前にやや視点を変えた第二章を「罠」という題で書き足してみて、まずまずだなと思ったのでこの二章を連続した散文詩のようなものとした。
2000年、佐藤弓生の属する短歌同人誌「かばん」主催の記念朗読会が吉祥寺の井の頭公園で開催され、当時購読会員だった私も、野外ステージでこれを朗読した。
少しだけ音楽を加えることができるというので、ジョン・ケージの「プリペアドピアノのためのソナタとインターリュード」の中から、比較的静かで瞑想的な部分を背後に響かせながら読んだ。
当時私の知るクラシックおよび現代音楽の中で、最も自作に合うと感じたのがこの曲だった。
このときは意識していなかったが、ジョン・ケージはとてもきのこを愛する作曲家で、1962年に創設されたニューヨーク菌類学会の最初の会員の一人、また後にカリフォルニア大学に寄贈されることになる大量の菌類学文献を所蔵する人でもあったばかりか、1958年、滞在先のイタリアでは「Lascia o Raddoppia」(いちかばちか、の意とのこと)というTVのクイズ番組に数週間連続出演し、菌類学全般にわたる知識に関するクイズに勝ち抜いた結果、五百万リラの賞金を獲得したという(以上、飯沢耕太郎氏による『きのこ文学大全』のご教示による)。

しかし長らくこの二章分から先は進まなかった。
一昨年、ふと、前二章とはさらに異なる視点で、ただし飽くまでもきのこをモティーフにした散文を書き足してみた。
そこからはあれこれと足してみたい場面が見えてきたので、そこまでのリズムをなるべく崩さないように、書けるときに少しずつ書き進めた。
すると徐々に、全体のテーマらしいものも現れた。
昨年になると一層書く速度が上がり、一時期、集中的にかかりきって、ようやく全70枚ほどの短編小説として完成した。
そのようなことができたのは2008年末、上野の国立科学博物館で開催された「菌類のふしぎ」展に行ったからだと思う。楽しく、驚異に満ちていた。多くを考えさせられる展示だった。
菌類のふしぎ展の経験の何か月か後になって、こんな小説ができてきたのは、長らく地下にあった菌が、あるとき栄養を得て繁殖し育って、突然むくむくと子実体を作り出す、そのままの様子に思える。
なにぶん、きのこなので、今回の小説には読者に共感を求めるような要素はない。驚異と思弁と、そして少しだけユーモアも感じ取っていただけたらよいのだが、と思っている。

なお、「文學界」は先月号から、飯沢耕太郎さんの「きのこ文学の方へ」の連載が始まっていて、これがまた楽しいので、この2月号に限れば二大きのこ文学掲載という快挙達成になっています。

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図を描き

占いも魔術も、未知を手探りしようとした人々が古代から伝えた技法だ。
微かに何かを得ることはあると思う。
シンクロニシティというのもそうだ。不思議な符号が世界に散らばっている。偶然にしては符合し過ぎているが、といってとても人為でできるようなものでもない。そんなことに直面した経験もある。また、たまたま目にした占いの言葉が、もともとそれの示したところでない、奇妙な方向で思わぬ形に当たっていたということもある。事実上は役に立たない外れた予言だったのに、無意味でもなかった。
だが、そういった不思議は、大抵、ほんの僅か、何かが接近してきたのが後でわかるに過ぎない。その感触は何かを考え続け創り続けているときにも訪れる。
このとき不思議になるのは考え創り続けている者は誰かということだ。自分ってこんなだったか?
私から見ると時代的なセンスがとても違うけれども、ブルトンはとても重要な何かとすれ違ったのだと思う。

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名づけえず

アンドレ・ブルトンの『秘法十七』というエッセイの「十七」というのはタローカード大アルカナの17番目のことをさしていて、「星」として知られるカード。希望と復活の象徴という。
1944年書かれた。パリ解放のときだ。翻訳は入沢康夫、1993年に人文書院から刊行されたものを持っている。メリュジーヌの伝説などがモティーフになっている。
最近、少し予定を変えて、ぽつぽつと読んでいる。
その間ずっと考え続けるのは意識とは何かということだ。
周囲の文脈。私にはよく読み取れる。だが文脈は詩の敵だ。文脈をよく読めるひとほど囲い込まれやすい。知ってしまえば取り込まれそうになる。その力を反らすこと。知っていることが負の意味にならない姿勢を見出すこと。

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神さびてある大樹かな

自分は諦めるということを学んでこなかった。
記憶は白い。過去がではなく、過去を思わせる翳りが懐かしい。実は初めて見たものばかり。
とても白い。常に今だ。軽くて硬い今を愛する。
すべきことがある。

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