誰だっていつかは死んでしまうでしょ
そうだったのか。
最近知ったこと その2
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最近気づいたこと
ポエジーは貯めておけない。
若い頃の松任谷由実は天然エフェクト声だった。
可能性だけあって実現しなかった希望の名残が音楽である。
一時忘れられていた切ない淋しいという鉱脈が90年代中ごろから再発見された。
賢くシャープな発想の人が五年先くらいの現実を先取りしてシャープに教えてくれても五年遅れのわれわれはそれを全然実感できないので全く役に立たず、たとえ五年後に、なるほどあの人の言ったことは正しかったのだとわかったとしても何にもならない。
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きのこ記念の催しは3月も続く。
私は歌人ではないが佐藤弓生の友人知人に歌人が多いので今度は主にそちらの方面の方々と。
むろん短歌に関係していない方も歓迎です。
3/11(木)20:00~ きのこ歌会 開催
■2~3時間の予定
∵日本有数のきのこ歌人、石川美南さんをお迎えします。
∵きのこをテーマあるいはあるいはモティーフにした短歌をみんなで詠みましょう。
∵「きのこ」という語やきのこの種類名が入っていてもいなくてもかまいません。
∵無記名で短歌をご提出いただき、その場で別紙に清記のうえ、コピーを配布、一首一首について 全員で意見交換するという、短歌にかかわる方にはおなじみの歌会です。
∵点数をつけて競うことはしません。
∵上手下手を比べることはありませんので、経験のない方も歓迎いたします。
∵見学のみ、きのこに関する雑談のみの参加もお気軽に。
∵「私の知っているきのこ短歌」のご紹介などもいただけると幸いです。
∵ご希望の方には、のちほど当日の記録を郵送いたします。
■場所はいつものとおり、カフェ百日紅
板橋区板橋1-8-7 小森ビル101
JR板橋駅西口徒歩4分、東武東上線下板橋駅徒歩3分、
都営三田線新板橋駅A3出口徒歩6分
■会費無料 ※ ただし、カフェにつき、ワンドリンクオーダーをお願いします。
■参加方法
当日20:00に、自作一首をお持ちください。
※ なお、カフェ百日紅は、私の友人の経営でして、私は毎月、日を決めてここで小さな催しをさせてもらっているという関係です。
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先日2/13は理想的な形でした。ご来場いただきましたみなさまありがとうございます。
結局朗読が大半となって、談話のほうはそれほどにはならなかったが、このとき幻想文学というカテゴリーおよびその歴史が話題になって、これについてはもう再度、時間をかけて話してもよいのではないかと思った。
今のところカフェ百日紅の3月はまた別のプログラムがあるので、4月にでも。
最近知ったが澁澤龍彦編の『暗黒のメルヘン』もまた現在絶版らしい。
これはいつかまた再販すると思われるし、その一方に近年『日本怪奇小説傑作集』全三巻が成ってめでたいものの、半村良の『幻想小説名作選』も絶版、に続き『暗黒のメルヘン』も、となると、「幻想文学」のテキストが簡単に提供されず、ホラー・怪奇・怪談の方面しか紹介の手がかりがなくなってしまう。
純文学そのものとは異なるとはいえ、どこか純文学的なあるいは詩的な方向性を持つ名作群があるし、これからもそういったものが書かれるべきだ、という主張の根拠を、まとめて実際に見せることが現在、簡単にできなくなった。
「わかりやすい解説」より読むほうが早い種類の短篇ばかりなのだからやはり手軽に読める状態であってほしいものだ。
70年代に盛んになった「純文学とエンターテインメントの区別をしない」態度はずいぶん後になって、むしろ同時代の純文学否定に近い意識をもたらした。
90~00年代の大塚英志の意見も結局は70年代的な「売れもしねえくせにゲージツゲージツって威張りやがってよ、クソめ」的怨恨がもとにある。
しかしその怨恨を表から認めると、ある貴重な部分が死ぬ。
事実、こうした圧力によって最も発表が難しくなる作品がたとえば笙野頼子の「虚空人魚」だったりするのだ。
だがこのような小説を広く読めるようにできなくて何のための文学ですか。
だからこそ80年代以後の幻想文学については怨恨によるそれとは異なる視線がないと困るのです。
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日が近づきましたのでもう一度だけ記します。
2/13(金)17:00~カフェ百日紅ドリンク付き入場無料。「日々のきのこ」「うさと私」抜粋を朗読。先着15名様。
なおこの機会に、私のこれまでの著述についてあるいは意見見解思考等について何かご質問などあればお答えいたします。
付記。
先着15名様というのは椅子の数によります。もしそれ以上いらした場合、後においでのかたはやや不自由になりますがなんとか考えます。ともかく先着15名様までは椅子席がありますという意味でお考えください。
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黒瀬珂瀾第二歌集『空庭』を語る会というのを聞きに行って、発言を勧められたのでいくつか言及した。
俄かのことでもあるし、常のとおり言い残しがあったのでここにいくらか補足します。
といって確固たる根拠を提示できるわけではないので仮説程度。
黒瀬珂瀾という歌人の作歌上の意識はなんとなく、前衛短歌から出発しつつその後の曲折を我がこととせずにニューウェーブ以後の最新情報を摂取した結果のような気がする。
つまり、60年代以後のヘーゲル的展開もしくは政争とは別に、枝分かれしたところで前衛短歌の直系として存在する。
彼が師とした春日井建、そして塚本邦雄らのとりわけ表現優位の方法が基本だが、その後のたとえば穂村弘がさんざんぶつかった「80年代を生きた自分にはこのやり方しかないが、バブル以後の現在、これで受けるのだろうか」という怯えは関係がない。
やろうとすれば大抵の様式をものにすることができるからだ。それがポストモダンということなので、よくされるように穂村をポストモダン的と呼ぶのは間違いである。それは「村上春樹的」というだけのことだ。全く多様式ではありえない。穂村弘は非常にセンスが鋭いとともに非常に不器用な歌人である。
それに対して多様式の歌人である黒瀬は、眼前にサブカルチャーと呼ばれ最も若い層に共有される文化があれば容易く自らのものとできるし、逆に60年代の前衛短歌とその時代に優勢であった左翼的姿勢を表層揶揄的なものとしてでなく正しい形で記憶し、端々にほのめかすこともできる。
だがそこにも厳とした選別があり、基本的にクールでないものは受け付けない。
ところがその一見スタイルだけを優先しているかのような態度の中に、ときおり他と交換できない偏愛を見せる。おそらくそのひとつが戦後派的視線への同一化だろうし、また、いくつかのTVアニメを例として浮き上がるストーリー的複合点だろう。
世の人は「不器用な天才」が大好きだ。
その逆を行くのは茨の道と思う。
だが、いかにでもありながらこれしかないと見極めるものが見えたとき、もはや迷いはないはずだ。そうあることを願う。私の考えではそれを導くものが彼の偏愛である。
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今月2月13日の朗読・談話会もまだなんですが、3月のお知らせ。
3月18日(木曜)20:00~、
原宿キネアティックで行われる映画「吸血」上映会のプレトークとして、吉本直紀監督と30分ほどお話しすることになりました。
(「吸血」上映は20:40から)
「吸血」は昨年見て気に入ったインディペンデント映画で、東雅夫氏はじめ、目のある方が絶賛しておられますね。
上映の機会は少しずつ増えている様子ですが、今のところ、2/18(木)21:00~と2/20(土)17:00~、そして3/18(木)の三回がチャンス。
2/20は上映後に土方巽アーカイヴ代表の森下隆氏とプロデューサーの永松左知氏との対談ありとのこと。
いずれの日も、トークショー含め料金1000円。事前の予約が必要とのこと。
土方巽の名前があることからもわかるとおり、この映画には室伏鴻という優れた土方直系の舞踏家の方がノスフェラトゥのような様子で出演しておられます。
サイレントで全体を敢えて古く作った怪奇趣味がとても望ましい。ドイツ表現主義映画的なところもあり、岸田森が吸血鬼を演じた70年代初めの日本吸血鬼映画「血を吸う……」シリーズに通じるところもあり、そして60年代寺山や土方の「アングラ」風味もあり、といったところかな。
基本はアートだと思います。
こういうの好きな人はもう知ってるよね。
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一月はいろいろとごめんなさいが多かった気がします。
二月は、私にしては、知る方々のおられる場所に出向くことが多い模様で、快くお会いいただけることを願うばかりです。
なお最近はよく、ワッチキャップての? かぶってたりしてるです。
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