« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

春過ぎて夏来にKERAは黒妙の

来月の「群像」3月号に小説「記憶の暮方(くれがた)」約230枚掲載します。

題名は林達夫の「歴史の暮方」を意識していますが密接な関係はありません。

一人の語り手が記憶と伝説と韻文にかかわる物語の由来と行方を辿るもので、先行する小説として考えるのは阿部昭の「桃」と丸谷才一の「横しぐれ」 。

全体的にはそうでないのですが、編集の方の勧めでラストをいくらか書き直した結果、ほんの少しだけいつもの怪奇幻想風味が加わりました。

もうひとつ、私は直接見ていませんが、講談社「群像」電子書籍プレ創刊号というのが現在、無料配信中だそうで、ここに「遍歩する二人」が掲載されています。ただし、iPhone・iPadをお持ちのかた限定のようです。

そこで来月2月の百日紅談話会は、ちょうどその月どちらも読める「遍歩する二人」と「記憶の暮方」について語ろうか、と考えていますが、場合によって「フリースタイル」にするかもしれません。


なお、佐藤弓生第三歌集『薄い街』について語る会、に出たかったけど曜日・時間が合わなくて残念だったという方複数おいででしたので、夏過ぎ頃もう一度、土曜日か日曜日の少し早い時間から第二回を行おうと思います。
前回ご出席の方もよろしければまたおいでください。
この件、近くなりましたらここでご案内いたします。

| | トラックバック (0)

これやこの行くも帰るもわかちこは

(前日記)とはいいながら、ここ数年の読書傾向は以下のような感じ

小山清、井伏鱒二、小沼丹、阿部昭、坂上弘、庄野潤三

昨日のリストにも入れた小山清から始まった道筋といえばよいのかな。

そこに以前からの、古井由吉、堀江敏幸 を加える。

なお最近、これらの傾向ともやや異なる、藤枝静男、梅崎春生、丸谷才一、後藤明生、らの未読作を読んだ。

というわけで、めざせ静かなおっさん文学。

| | トラックバック (0)

立ち別れいなばの山の峰不二子

今年度、大学の授業で言及、あるいは課題とした作者作品題名のメモ

江戸川乱歩   「白昼夢」
小川未明    「金の輪」
安房直子    「鳩」
金子光晴    「おっとせい」
稲垣足穂    「一千一秒物語」
川端康成    「心中」
岡本綺堂    「猿の眼」
筒井康隆    「遠い座敷」
泉鏡花      「雨ばけ」
内田百閒    「盡頭子」
フランツ・カフカ 「父の気がかり」(池内紀訳)
中井英夫    「火星植物園」
小山清      「落穂拾い」
小松左京    「時の顔」

ひとつひとつはそれほど長くないがけっこう多くの作品を読んだものだ。
好みが如実に反映している。

| | トラックバック (0)

神代もきかずたったひとつの冴えたやり方

物語叙述の部分が特に大きい場合を除いて、小説は邪推の産物である。
よい邪推ができればよい小説が書ける。
事実記録を前にああもあろうこうもあろうと推測するところから小説の想像力は始まる。
たとえば年譜に註をつけるような作業の中に小説の芽は潜んでいる。
なお、単純な陰謀論はレベルの低い小説である。

| | トラックバック (0)

都をば霞とともに襲いしか

↑能因法師、スティーブン・キングの『霧』を詠む(上の句のみ掲載)。

という件はともかく
年が改まったのでもう一度お伝えします。

2011年1月21日(金曜日)20:00からカフェ百日紅

佐藤弓生第三歌集『薄い街』について語る会

を開催します。
参加無料ですが、ワンドリンクオーダーお願いいたします。

| | トラックバック (0)

いく野の山の遠けれどふみふみ

覚書として
昨年放映されたアニメーションベスト3

1 鋼の錬金術師

2 屍鬼

3 海月姫

なお、「侵略!イカ娘」もよいと思ったのだが事情で全回は見られなかったのが残念。
いずれすべて見る予定。
それと番外で、アニメ枠(ノイタミナ)なのに実写であった「もやしもん」もよかった。

| | トラックバック (0)

夢で出逢った人同窓会

読み終えた文学作品について語るのは楽しい。
とはいえ、自分の読了した作品と相手のそれとが全然違っていると互いに残念だ。
なら、ひとまずこれとこれ、というリストを決めてから話す集まりを考えてみてはどうだろう。といったことは大抵みな考えると思うが実現と継続が難しい。
参加者は一作ずつ読んでほしい作品をあげる。
参加者の数だけの作品は全員が読んでいるという形式で始め、一巡したらもう一作ずつ。根気よく続ければ数年後にはかなり自在に話し合えることになるのでは、という希望。
日を決めて一作限定で語り合うというのもよいのだが、それだけではどうも私としては窮屈なのである。
参加者全員が多くの読了作品を思いつくまま語り合えるのが理想だ。
とはいえ、だいたいいつも出席してくれる人がせいぜい二、三人ということになると、もともと決めたルールが無意味になる。
なにしろ学生でない人々はみな忙しいので確約はできない。

理想をいえば室町時代の富裕な商人たちの文学サロンみたいなのがいいな、と、以前、山崎正和の『室町記』を読んで思った。もしそこに書いてあるのが事実ならだ。
全員、知るべきことは知っていて、説明のための無駄な時間は不要、批評眼も水準以上にある。というような。楽しそうだがなあ。

| | トラックバック (0)

彼方に見ゆ

25歳が出発点だったとすれば相当前の話なのだが、どうも今年が本当の出発点のような気がする。
かつては制作以前の問題についてクリアしないといけないことがまだあるのかと思ってうんざりしたが、今の必要はよりよく書くことだけなので心からありがたいと思う。
その段階でようやくこれからというのなら悪いことではない。
ところで私のよく知る方々もみなそれぞれ望むところに向かっておられるようで、何よりめでたい。

| | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »