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忍ぶれどIronie出にけりわが屈託

↑ Ironieは「イロニー」と読んでください。

たまに近況を記します。
今月はほとんど原稿らしいものを書いていない。
ひとつには20年以上使っていた冷蔵庫が遂に停止し、買い換えることとなったが、今のところ置いてある場所から動かせないため、新たな設置場所を用意せねばならず、数年間物を積み上げるばかりだった所を何日もかけて整理したこと、新冷蔵庫を置くまでしばらくかかるため、整理と同時に、緊急に消費せねばならない冷凍食品から順に、できるだけ無駄のないよう料理を続けたこと、などで前半が終わり。
自宅とは別に倉庫を借りていて、そこへ書籍類をもってゆくことになったものの、大仕事のあとよくある気の緩みからかカードキーを落としてしまい、届出、および新たに作るための手続き、とか、かねて懸案の、ある件に加入の手続きとか。
仕事としては大学の生徒の成績をつけ来年の講義内容を大学サイト上に記すとか。
またある件で親戚に必要な情報をいくつか伝える等もあった。
しかし、このていたらくは、何より「しばらく何もしたくない」の状態からと思う。
「記憶の暮方」の提出後の変更と書き込み作業で非常にテンションの高い日が続いたため、そのあとのリハビリ期間として室内整理と料理に追われる日々も悪くはなかった。
それと、長らく共にいた旧冷蔵庫は本当にいい奴で、私が他のことは何もできない状況にいた1月末までは満身創痍のままどうにか職務を全うし、何もかも終えてぼんやりし始めた頃合を見計らってそっと息をひきとった。
思いやりのある奴だった。

それでも前半に忙しかった感が強かったので、後半はさらにぼんやりした。1月末の一週間ほどの緊張をほぐすためにひと月かかってしまった。かねて読もうと考えていた本を主に読んだ。今も読んでいる。
まだ少々残っているとはいえ必要事の大方を終えた今、ようやく、次、何を書くか、考えるところにきた。いくつかのプランはある。どれから、どこから始めるのがよいか、来月には編集の人と相談だ。

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武神像の拗ぬるはわろし

↑ 昨年の「大魔神カノン」への感想。

が、以下はそれと別の話として

しばらく前に百日紅で話したことだが、韻文的な言葉、あるいは韻文にあわせた結果の擬古文的な言葉が、私たちの使用する言語には既にけっこう組み込まれている。
ところが、なにげなくそうした文章語的あるいは文語的表現を用いると、現代の日常語だけを基準と考えている人から「そんな言い方は今はしない」「分からない言い方をするな」という安易な切捨てに遭う。
これが文章表現の場合は、それでも足りず、ときに「そんな書き方では読者がついてこない」と勝手に読者の代表となったふりをして、「この自分に分かりにくい言葉」を排除しようとする人も出る。外国人排除と変わらない。
だが、そのように言う人々の記憶のどこかにも、必ず古めかしく旧弊な言い方が眠っているものなのである。
私にはその種の言い回しのいくつかが、より自分の親しい言葉としてあるように思うのだが、ただ確かに、まるで抵抗なく現代日常語に接続するのが難しいこともある。
といって、死んだ語不要な語なのではなく、文語的片言隻句はひそやかに、現代語ではなくとも現代の語として今も生きていて、ふとしたときに甦る。
その感じを「記憶の暮方」に用いた。
少なくとも、韻文的な、そしてときに文語的な表現は、ある人にとっては方言のようなものであり、当人に縁遠いものではない。ただ、それが文語文法的に本当に正確とは限らない。
が、ともあれ、普段はあまり耳にしないそれを敢えて少しだけ混入させて語ることは、現代日常語があまりに圧倒的な基準となっていることへのごくささやかな批判であり抵抗である。
関東に長く在住の関西出身の人がほとんどは標準語を使いながらも、要所要所で意識的に関西的言い回しを残したりするのとそれはあまり変らないものと思うのだ。

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ぬるき水恋ふ田螺の母は迦陵頻伽と聞きおよぶ

ここ20年くらい、文学の世界の端のほうから見ているが、やはり後ろ盾があってデビューする人は本当に有利である。
とはいえ、志ある人が皆、頼もしい縁故を持てるわけがなく、どうにかこうにか新人賞で出ても、あとは運次第というほかない。
そういう立場の弱い新人にとって、いわば後ろ盾代わりになりうるのがジャンルというもので、これも実は人間関係に帰着するところが多いものの、単なる縁故とは違う、少なくともそのジャンル内では仲のよしあしよりもジャンルへの忠誠が重視されることもあるという意味で、そこに属すと決めたのであれば選択肢が増える。
よい作品を書く、よい編集者と出会う、よい評者にめぐまれる、という三条件以外に、「ジャンル的に最も望まれるものを書く」という、いわば近道が用意されている。
新人は脆い。デビューして数年注目されなければ大抵の人は去ってゆく。あるいは去らざるをえない。
そんな立場であれば、時にジャンルに頼るのも仕方ない。むろんそれを幸いとするのなら何の文句もない。
ただ、私の見解では、どんなジャンルに所属している作家も、真に高度な真に切実な何かを書こうとすると、おおむねそのジャンルのしきたりが邪魔になるものだ。
その結果、最終的にはどこかで、自らの属してきたジャンルという、いわば自分の実家のようなものを裏切ってしまわざるをえない。
それがはなはだしかった場合には、恩知らず、と罵られるのも仕方ない。
だが創作とは常に何かへの裏切りではないだろうか。
自らの属するジャンルに対し、完全に自足し、何の疑問も持たずに書ける人もいるだろうが、その疑問のなさはあまり好ましいものでない気が私にはする。

なんて話も明日。やっと書き込めたですよこれ→★★★

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夜もすがら物思ひゐて寝過ごしぬ

日が近づいてきたのでもう一度告知します。
カフェ百日紅で毎月一回行なっております談話会、今月2月は25日(金曜日)20時から。
参加無料、ワンドリンクオーダーのみ。
テーマは「文学のフリースタイル」
好ましく思い入れのある文学に関することなら何でもお話しください。
既に幾度かご参加の方は回顧も歓迎します。
私としては先日読んだ福田恆存の、小説に飽き足りない意識の件など、伝えようかとも思いますが(そこが文学のフリースタイル)、そもそもフリースタイルであればよいし。
また、現在、電子書籍版「群像」無料配信で読める「遍歩する二人」、および「群像」今月号掲載の「記憶の暮方」について、いくらか語らせていただくかもしれません。が、その日次第。なにしろフリースタイルなので。

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ゾンビらの苔の衣よ乾きだにせよ

意識の硬直という意味では耽美主義というのも容易く威張った退屈をもたらす。
だがそこにも大きな差はある。ヴィリエ・ド・リラダンの全体像を私はそれほどよくわかっていないが、ある面で耽美主義的であるのは認められるべきだろう、その彼に、確か、まず生の躍動のようなものを重視するという発言があったと思う。
主義としての楽で怠惰な独尊を選ばなかったとすれば優れた態度である。そのバランスの意識が重要ではないか。
現在、決めつけとしての耽美主義は無価値どころか有害であることさえ多いが、といって私は耽美の視線自体を否定する気はない。それは結局語り口の好悪の延長であり、内容を規定するものではない限りにおいて有効だ。
以前も書いたことだが、貴族の華やかさと奴隷の無残を描くのが耽美なのではない。ごくあたりまえの勤め人の意識を耽美的に語ることはいくらでも可能である。
ただし、そこにも限定はあるだろう、ならばその目的が、今見ようとしている何かを覆い隠すと予感したときには潔く耽美の視線さえも棄てる覚悟でいるべきだ。

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ながらへば忍ぶることの弱りもぞもぞ

他者から見ての退屈さをもたらす理由のひとつは視野の狭さかと思う。
そして視野の狭さは多く、自らの所属する共同体へのアイデンティファイの度合いに比例する。
自分たちの常識と限定的な知識が何より優先するという意識が、面白さや奇妙さ意外さ、つまり思いもかけないものに出逢う楽しさに気づかせない。
そしていつも同じ結論に向けて同じ手順で語り続ける。
すぐ足許にとんでもなく変な形のきのこが生えていても、気付かないか、気付いてもそんなことより重要な自分たちのルール手順を消化するのに忙しくてすぐ意識から消え去る。
仲間内のルールと話題が順調に作動していることだけがその人の喜びだ。
お互いに愉しんでいるだけなら文句もないが、ときおり、そのルールと知識の偏りを世界全体に優先させようとするのがいて、そういう人は自分こそが教える役と考えているためか、たいていえらそうだ。
えらそうさの伴う退屈ほど嫌なものはない。ほら、思い当たるでしょ。

資質ということもないとはいえないが、ア・プリオリに視野が狭い人というのはあまりいないと思う。
やっぱり周囲の人次第ということだろうか。視野の狭さは"感染る"のである。
ま、逆もありうると思いたい。

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ラムラム王、今は飛び出でな

とても曖昧な記憶によるが、複数のアニメか漫画のストーリーをもとにした、ひとこま漫画のようなもののひとつだったと思う。
いくつも掲載されていたそのひとこま漫画には、必ずしも笑いやオチはなく、ただ、何人かの夢・願望をそのまま描いて見せていて、それがときにおかしいのもある、というものだった。
私がよく覚えているそれは、もとのストーリーでの主人公の少年が、犬だったか、ある動物を愛していて、しかし、家族がそれを許さないというようなシチュエーションであったと思う。
別の漫画の登場人物らがあれこれと夢を満たしたり満たさなかったりしている絵の中に、上記の少年と、彼の愛する犬だったかが、家族とともにいて、家族らはそれを受け容れている、という絵だった。
ただ、それが夢物語であることは当の少年にもわかっていて、彼は「こうだったらいいのになー」とつぶやいているのだ。
それだけならたいして記憶にも残らないようなものなのだが、私はその絵を見て、どうにも「なんだかな」という感想を得たのを強く覚えている。
それは、少年が「こうあればいいのに」というその絵が、もとになった漫画で何度でも繰り返し彼によって望まれ続けているシチュエーションであったからで、つまり、元の漫画での願望のダメ押しでしかなく、しかも、ここまで本編で何度も見ていたのと同じ願望の映像化言語化をまたやられると、いかにそれを彼が切実に望むことであったとしても、「またかよ、君にはそれしかないのかよ」と言いたくなるのだった。
いつも同じことを同じ言い方でしか言わない人というのはもてないと思う。
魅力とは、その都度何が起こるかわからない、その相手が何を望んでいるかわからないところに生じるのではないか。
いや、欲望そのものが変化し続けねばならないのではなく、いつも同じ欲望であってもよいのだ、その表出が、常に異なる意外な局面を見せてくる、という場合に、人は、興味をかきたてられる。この人の言葉をもっと聞きたい、知りたい、と思う。

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むべ大野櫻井相葉二宮松本を嵐と言ふらむ

途方に暮れると言っても、まるで予測不可能というのではない。
かなりなところまでは予想できたり想定できたりするのに、決定的な部分に確証がないというような状況といえるか。
しかもそれがいずれ明らかになるという性質のものでもない。
いや、こうだ、あれこれ多くの符合がある、情報は多い、そしてそれらのいくつかは明らかにある方向を示している、なのに全体が見えず、少し目を転じ、別の情報に注目すれば最初の予想は容易く外れる。
五里霧中というが、二里くらいまでは見えているにもかかわらず三里目のあたりでどうしても矛盾するようなものが微かにうかがえるため、かえってとまどう、そんなこと。

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ラッコらは今はまからむ仔鳴くらむ

思えば自分には、継続的な反抗・批判意識表明の意欲が薄い。
それよりもここに在ることのいやおうない不安を描きたい。ひたすら途方に暮れる様子を語りたい。
このあたりが批評家として長続きせず、結局、小説に戻った理由と思う。
江戸川乱歩の「白昼夢」の語り手のように、ふらふらと歩き回り、異様なものを見、知り、しかし確信が持てず、安心できず、いつしか自分が誰であるかさえ心許なくなってしまうような、そんな彷徨を語りたい。
結論ではなく、ああどうしたんだろう、どうしよう、というそんな、やくたいもないことを深く深く伝えたい。

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逢ふと見てうつつのカピバラ

三島由紀夫による小説作法の中、語り手にとって使用法に不明点のある語や意味のよくわかっていない名称を敢えて出し、「……、というのか、」などと自信なげな語りをするのは最低、といった意味のことが書かれていた。
三島ならそうもあろうかと思い、そんなものかとも思っていたら、ずっと後で読んだ古井由吉の『山躁賦』の出だしが「あれは何と呼んだか、頭巾か帽子か、茶人のかぶる僧侶のかぶる、宗匠のかぶる、……」と始まっていて、その意識の追い方のリアリティに強く惹かれた。
三島の小説にも惹かれるものは多かったが、以後、常にすべて知っているかのような語りを用意するのはどうも大きな可能性を棄てているな、と思うようになった。

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さんた、ま、りあ、りあ、りあ

随分前から「エコール」に憧れていた。
一番念頭にあったのは1960年代の三島-澁澤エコールだ。高度に芸術的でありながらアングラでもあり今で言うところのサブカルの基になる文化を作り上げた巨人たちの交際だ。
メンバーの多くが私から見ると一流人で、眩しいばかりである。「血と薔薇」の執筆者リストがたいたいそれをなぞっている。
しかも彼らの多くが澁澤邸に集まり日夜宴会状態だった(という日々がときどき訪れた)というのを聞いて、(たいていろくでもなく終わるだろう)宴会そのものはともかく、そこに入ってみたい部活のように見えた。中には不和も大喧嘩もあったようだが、それでも「その仲間にいる」ということが羨まれた。
1910~20年代フランスのシュルレアリストたちのエコールもそんな感じではなかったかと思う。
その後、70年代SF作家エコール、80年代ニューアカエコール、ときて、90年代からは少なくとも私が強く羨むエコールは見当たらなくなり、今にいたる。
私の友人知人の中にはとても優れたアーティストもいるが、たいてい個々に活動していて、一定の仲間として集まり行動することはそう多くない。
つまり私はかつてのような濃密で特権的なエコールに所属することを一度も経験していない。

しかし、今思えばそれでよかった。
80年代ニューアカ系の芸術家たちの間にいることに満足して、大した仕事もしなくなってしまった人を私は知っている。その人にとって大切なことは「高級な人々の仲間であること」であり、自分が何か成すことではなかったのだ。

こんなことを感じたのは、最近、ほとんど芸術的達成を示すことができないまま老年になった人が、若い才能ある(便宜的に使ってます)アーティストに対して「自分はこの人ともこの人とも親しくしていた、キャリア何十年だ」と有名人との交際歴を告げキャリアの長さを誇りながら恫喝しようとしていたのをたまたま目にしたからだ(若い人はあまり動じていなかった)。
友達は大切にしよう。自然にできてくるようなエコールに一人の表現者として加われるならそれもよい。だが、何より本当になすことは孤独な作業だけなのだ。そう教えてもらったように思う。

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照る月の旅寝の床屋さん

知らないことが悪いのではなく、知ろうとしないことがいけないのだ。
何か知ることによって考えと態度を変えるのは当然だ。
予めそうした変更を受け容れる気がなく、新たな情報に目をふさごうとする意識が一番迷惑である。
また逆に、やや複雑な問題を語るとき、核心的な、しかしあまり多くには知られていない情報をもとに、「こんなことも知らないのかね」という態度で語る人もいやなものだ。
そうした、生れたときから何もかも知っているかのような態度を取りたがることは、その人の「伸びしろ」を著しく制限してしまうものでもあるだろう。

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流星雨待つ夜の冬の風更けて

「文學界」3月号掲載の大澤信亮による評論「復活の批評」を読んだ。
100枚ほどのものだそうだが、珍しく一気に読めた。
私はかつて文学性最優先のいわば古いタイプの文芸エッセイ的批評をやっていて、そこにはそれなりの面白さがあったが、しかし、もともと自分の批評の動機は柄谷行人だったので、現行の何かへの強烈な批判意識によって書かれる批評、それが文学などという囲みの中だけでなく機能する評論といったものを待ち望む意識も強かった。
自分でも若干はそうしたものを書いたが、やはり向いていないことはすぐわかった。そうするには自分は文学が好きすぎるのだった。
自分は柄谷以後の批評家にはなれず、批評を続けたとしても飽くまでも作家の書く文学論でしかない。ならば作家であればよいのだ。
だが大澤氏の評論は、自分のやれなかった真の批評に近いものとして読むことができた。
それはまだ「述志」に留まっているようだが、しかし、私の考えるところでは、評論とは永遠に述志であるほかなく、そしてそのままで小説にはできない何かをなすべきものなのだ。
ここしばらく、80~90年代の反動から、「え? ポストモダン? 現代思想? 評論にそれ必要?」という揶揄が多く語られていたように思う。
私の周囲の批評家志望者の何人かも、その本当の価値など考えもせず頭から「テクスト論やポストモダン批評なんてくだらない」と言い張って止まなかった。しかも論理的にではなく感情的に嫌悪している。
そうした批評が90年代以後、ある種の文学に敵対的であったことはあるだろう、また、古典芸能を観るときは最高の芸から観よ、と言われるように、現代思想を反映した批評を読むときにも本当に高度なものから読まないと、馬鹿馬鹿しくなってしまうのも事実だ。確かにつまらない問題に拘泥しているだけのものも多い。
だが、このような評論から読んでみれば、それを頭から否定はできないはずだ、そう思った。
しかもこの「復活の批評」はそれら「現代思想系」「ポストモダン」批評等への強い批判からも書かれている。
つまり、歴史も知ろうとせず、ただ時代遅れとか好みに合わないとかで初めから思想的批評を全否定することがいかに愚かか、この批評は教えてくれる。
ついでにある程度の現代批評史まで辿ってくれている。
小説家にとって「役に立つ」評論ではないかもしれないが、この人による批評には期待することができた。
(といって私自身はこの先、ほぼ小説とエッセイしか書かないけど)

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庭の面は月盛りすぎてありにけり

あいかわらず千野帽子氏のツイートがおもしろい。以下。

「いま発表されている小説のなかで、後世に残るものはどれか」という愚問や、「後世に残るものなどない(だからダメだ)」という胸毛ボーボーな意見にたいしては、「後世に残ったらどうなるのか教えてください」と問うのが正しいと思います。
5:30 PM Feb 7th webから

意見にも納得だが、「胸毛ボーボー」て。
しばらく前、ジョンジョリーナ・アリーという人が歌っていた「鼻毛ボー」思い出した。

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ルルイエの夢ばかりなる手枕に

暗いニュースを耳にするとその後たいてい、猫かうさぎの画像を見るようになった。酸素補給と呼んでいる。
毛の生えた生き物でころころしてるものならだいたい可。カピバラとかパンダとかの大きめのも可。
そういうのに気をとられることによって何かを耐えさせてもらっているわけなので、ありがとういっぱい毛の生えたお友達。

※ これよろ→★★★

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野守は見ずや君が荒ぶる

おかげさまでカフェ百日紅でほぼ月一回開催している談話会も次で12回目をむかえることになりました。
(既に一年以上前から続けていますが、内、何回かお休みの月があったのでこんなところ)

今月は 2/25(金)20:00~ とします。
(通常は第三金曜日が多いですが今回は第四金曜日)
例によって参加費無料、ワンドリンクオーダーのみお願い、予約不要、途中参加可能です。

今回テーマを「文学のフリースタイル」としてみますが、実質としてはごくゆるい12回記念親睦会であることを優先します。
どなたでも、何か今ご興味のお話、あるいはお尋ねなど、ありましたらお願いします。始めてから既に一年以上経ったので、もう何度かおいでの方には過去の回を振り返っていただくのもよいですね。
私からは「遍歩する二人」と「記憶の暮方」についていくらか語ることもあるかもしれません。
では仲良くいたしましょう。

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