« どなたの心の言はんかたなき | トップページ | 気はおおどかにあらばと願ひ »

キリエ・エレイソンてふ言葉ぞ厳しき

改めて周囲を見回してみて、思うのは、今、気の利いたことは言うまいということだ。
本当に動じない人もいるだろうけれども、こんなときにも最低限の余裕を持っているぞと言いたいためにされる発言はすぐその質が知れる。
アクション映画でタフな主人公が絶体絶命のときにユーモラスなことを言うのとは異なる。
そんなタフな人はほとんどいないし、そうある必要もないけれども、自分が真の危機の前にいるときにだけ、自分について突き放した発言もしたければすればよい。
だが、自分の怯えを見ないようにするため、第三者の顔で他者の慌て方をあげつらうのはそれと違う。
怖いことは怖いと言おう。慌てるのは恥ずかしいことではない。慌てたあまりの誤認はよく確かめてから訂正すればよい。と決めたところ。

付 でもそれとも違って、あきらかに笑わされてしまうような、意図的にばかばかしい発言は、あまり切れ味が鋭すぎなければたまにいいかなとも思った。
弱っているときの辛らつな言葉は遠慮して欲しいが、やはりユーモアはありがたい。

|

« どなたの心の言はんかたなき | トップページ | 気はおおどかにあらばと願ひ »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: キリエ・エレイソンてふ言葉ぞ厳しき:

« どなたの心の言はんかたなき | トップページ | 気はおおどかにあらばと願ひ »