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瓏々たるやあけぼのの空

恣意的なのに何かの確信を呼ぶ思い込みが芸術である。
宗教的な建造物はそれが造られたときは形而上に触れようとする手段だったのだが、何百年も経つと、その形態と歴史性が重要なものとなって、鑑賞の対象となる。
芸術的創作物も当初は制作者の必要に迫られたもののはずだが、発表された後は手段としての面が捨象され、目的として鑑賞される。

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