理知もてともに歩むべし
遊星に手の届くまで空仰ぎあまねきほどの幸ひよ来よ
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ほぼ無信仰だが、確率からすれば認めがたい、ある偏向がこの世界にはあり、そこに僅かな、人に計り知ることはできないながら何かの意図らしいものがうかがえた経験を持つという意味で神秘は信じる。
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多くの場合、夢の記述そのままでは文学として鑑賞するのが苦しいものだ。
カフカがノートに書き残した夢の記録らしいものはその興味深さの点で突出するのかもしれないが、それでも連続して読んでゆくとだんだん苦しくなるところは多い。
夏目漱石の「夢十夜」からはじまる(のか?)、夢の生々しい不条理を巧みに描くのが内田百閒と島尾敏雄のいくつかの短編で、それらは巧妙に再構成されているらしく、そのことによってかえって夢のエッセンスが伝えられる。名人芸と思う。筒井康隆もうまい。
今、夢の記憶の仕方が気になっていて。
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5/15西荻ブックマークきのこ会、僅かでもこんな感じを伝えられるとよいと思ったり ↓
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大型ばかりに目を奪われていると、足元にいきなり火炎茸が恐ろしいほどの緋朱色を目に焼き付ける。猛毒と言われている。舐めただけでも危ないそうだ。にしても鮮やかで、火炎と呼ばれるのも頷ける。
道の両側に沿って、これは「袖集団」と呼ばれるそれか、傘はかなり大きいものの、比較的背の低い種類が帯状に繁茂する。傘の上中央部に星形に裂けた小さな穴があり、そこからときおり、ぽっ、ぽっ、と湯気のようなものを噴き上げている。胞子を噴いているのだ。この種類は雨の日は穴を閉じる。雨中では胞子を噴き出しても広くまき散らすことができないからだ。
それは細かい胞子の作る煙幕なのだが、見ていると、ふと、何かの形に見えてくる。
登りあがる龍のような形、佇む女のように見えるもの。
さらにまた、数歩先に広がるそれが包みこむ無数の手のようだと見れば、どうも指のひとつひとつまで確かめられる。深海に潜んでいそうな魚や水母。渦を巻くもの、四方へ網を広げるように散るもの。
名づけようもないが、夢に見たように思えてならないもの。
この種類の茸の胞子には、あるいは幻覚を促す成分が含まれているのかも知れない。面白く見とれてしまう様子なのだ。
(「日々のきのこ」より)
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4/29カフェ百日紅での「読んでおきたい名作文学選定会議」では多数の推薦作をお教えいただきましたが、今回は提示だけで終わった観があるので次回から若干の議論などして厳選50作品くらいにしてみたいと思います。
といったことを考えているうちにも5/15西荻ブックマークの「きのこ会」(私が勝手にそう呼ぶ)が迫ってきた。
飯沢さんと石川さんのお話にご期待どうぞ。
あとは当日の塩梅次第ですが、私からは否応なく「日々のきのこ」的発言になるわけで、一部朗読予定。前回カフェ百日紅でやったスタイルとは敢えて違う形でやろうと思う。
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