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70年代の種と発芽

「セカイ系」は1970年代の終末思想とそれから生じたスピリチュアリズムに発するのではないか、というような話をした。
社会派推理小説というのが60年代全盛、その後、60年代末から70年代にかけて講談社の「江戸川乱歩全集」、「横溝正史全集」とその後の角川文庫の横溝シリーズ、そして桃源社の「大ロマンの復活」とか三一書房の「夢野久作全集」「久生十蘭全集」、立風書房の「新青年傑作選」といった戦前ミステリリバイバルおよび戦前的怪奇ミステリの見直しが一斉に始まり人気を得たのも、社会主義リアリズムに接近してゆくような世界への視線に飽き足りない層が出てきたからではないか。それらに馴染んだ世代から「新本格ミステリ」の作家が出現する。
このあたりからそれまでの世代が重要視してきた「現実社会」という中景が徐々に排除され、70年代の日本製SFの流行とともに、現実世界そのものの組織構造を暴くという松本清張的視線が薄れてゆく。おそらくそれは新たな世代による「左翼」の教条主義への嫌悪とともに、左翼側がしばしば敵視したロマンティシズムに(左翼から見れば)退行してゆくことだった。70年代SFは「大ロマンの復活」のもう一つの展開だったと思う。
というような話を今期最後の授業でした。
なお「社会主義リアリズム」はここ10年ほど、経済的条件からか、世界認識として復活してきている部分があるが、それだけでは私にはフィクションの方針とできない。


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岸本佐知子、町田康、アリステア・マクラウド、泉鏡花

最近たまたま手にしてこれはいいと思った小説・随筆。

岸本佐知子『なんらかの事情』
町田康『浄土』
アリステア・マクラウド「島」

岸本さんは『ねにもつタイプ』で好きになって以来。このほど新刊が出ていたのを知らず、先日たまたま、池袋リブロで著者サイン本が一冊残っていたので、縁があると思ってそのまま購入。
町田康は『告白』がよかったのでいずれまた何かと思っていたが、今回これは偶然手にとったもの。
この二冊は今やっているあることに心向けるような意味で。
アリステア・マクラウドは全然知らなかったが、これも偶然手にした新潮クレストブックスの『記憶に残っていること』という短編アンソロジーに収録されていて知った。
カナダの現代作家で、31年間に、これを表題とする短篇集が一冊、あとは長篇が一冊だけということだそうだ。翻訳では短篇集『島』の収録作を二冊に分冊してそれぞれ別の題名で出ているとのこと。なお、名前が女性のようだが男性らしい。
この「島」は同アンソロジー中最高に好き。近くこの作者の短篇集全編を読もうと思う。

なお、それと、ある小さな読書会のために泉鏡花『春昼・春昼後刻』を再読予定。

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フランスの交響曲

フランスのオーケストラが来日して、わざわざドイツ音楽ばかりやることはそう多くないだろう。
そうするとやはりラヴェル、ドビュッシー、ということになるが、どれも一曲15分とか20分とかの、あるいは小曲の組曲が多い。ドビュッシーの「海」とか「夜想曲」はある程度長いが、なんか交響曲的な充実感がないのか、あまり人気がない。それで、よくまとまって充実感のある長い大規模管弦楽が欲しい人たち向けに、たいていはベルリオーズの幻想交響曲かサン=サーンスの交響曲第3番、ということになりがちだ。
交響曲にこだわる必要はないのだが、といってラヴェル・ドビュッシーあるいはフォレ等で、やや長くて派手でそしてポピュラーな管弦楽曲となるとなかなかなくて、結局ラヴェル編曲の「展覧会の絵」といったところ、こういうプログラムがどうも是非行きたい感じにならない。むしろラヴェル、ドビュッシーに徹してくれるなら行きたい公演もあった(が、どちらもとても客は少なかった。残念)。
少しずれてフランスと関係の深かったロシアの人の音楽となると、ストラヴィンスキーで、これはよく演奏される。あとロシア音楽そのものならチャイコフスキーもリムスキー=コルサコフもラフマニノフもショスタコーヴィチ、プロコフィエフも盛りだくさんに選択肢があるが、フランス限定となると、そして日本で馴染みのあるある程度規模の大きい曲となると。
幻想交響曲はそれとして悪くはないがマーラー・ブルックナーに比べると何をおいても行きたいという感じが薄く、ベルリオーズなら是非「交響曲ロミオとジュリエット」を全曲やってほしい。これは幻想交響曲と比較するととても繊細で柔らかで微妙なところを多く持つ、規模は大きいが抒情的な曲だ。
サン=サーンスの3番「オルガン付き」はどちらかといえば私は好きなほうだが、オルガニストであった佐藤弓生からすると「せっかくのオルガンが付け足し程度にしか使われない」から面白くないと言う。いやそれ、「オルガン付き」とあるのだからそのとおりなわけだが。
ともかく、佐藤としてはなんだかあまり惹かれない、とのこと。この曲、ちょっとスペクタクルに走りすぎてなんとなくフランスに期待するお洒落感も薄いしね。
だがこの二大フランスポピュラー交響曲を除くと、どうもやはり他に人気曲があまりないらしい。
フランクの交響曲は大変歓迎なのだが、なぜか来日オーケストラではあまりプログラムにあがらない。フランクはベルギー生まれだが活動はパリだったからフランスの音楽としてよいと思うのだが。それとけっこう人気もあると思うのだが。
ほかにも、ドイツほどではないが、フランスにも交響曲の名作はたくさんある。ビゼー、ルーセル、デュカス、ミヨー、オネゲル、グノー、ショーソン、ダンディ、メシアンなどのそれだが、日本では全然馴染みがない。で結局「幻想」と「オルガン付き」ばかりとなる。たまに前座にビゼー、それと思い切ってメシアンの「トゥーランガリーラ交響曲」くらいか。これは現代曲だが長くて効果的なのでときおりは演奏される。ただ、オンド・マルトノという今ではあまり使用されない電子楽器のプロが必要になるのでいろいろ大変だ。
ということで、フランスの、日本ではあまり知られていないが、ブルックナーとかマーラーに匹敵する後期ロマン派的交響曲としてロパルツとマニャールの作を是非プログラムにあげてほしい、のだが、無理だな最近の集客不足では。
ドイツ音楽でさえ、あまり著名でないオーケストラの場合、何かあるとベートーヴェン一辺倒で、あとは「のだめ」以後ブラームスの1番ばかりというの、そのへんもなんとかしてほしいところではある。

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「コクリコ坂から」やってたそうですね

地上波TV番組を見なくなって久しい。
ひとつにバラエティあたりでの、気づけば気になる意見煽動が腹立たしい。特に原発事故以後嫌だ。
いいドラマは他でまとめて見られる。
もうひとつはニュースにこれまた腹立たしいのばかり出てくる。ネットに慣れたせいか、その線の報道だけかいと思うと、ほかのどの局を見ても報道姿勢があまり違わないので絶望的になる。こうやって日本の何かを追い詰めてゆくのだなと思うともう見るのも聞くのも嫌になる。
たまに映画などで見ようと思うのがあるが、番組表もほとんど確かめないので気づけば終わっている。
そしてネット上の検索語ランキングの中に見覚えのある映画の題名が上がっていて、あ、これ昨日、放映したのか、と知る。
で、昨日は「コクリコ坂から」が上がっていたので確かめるとやはり放映していた。
これは映画館で見た。父宮崎氏の監督作品のように常に何か驚きをもたらすというところはないが、これはこれで悪い映画とは思わない。ジブリの底力と言えるのかも知れないがそれを十全に発揮させているように思う。常に何か未知のものを提示することは素晴らしいが、いつも安心できる水準を保つのもよいことだと思う。
さてこの劇場版「コクリコ坂から」には、主人公たちが出版社に赴く場面があって、そこが映像化のさいの関係でだろう、徳間書店をモデルにしているとわかるのだが、社長室(か、それとも控え室かなんかだったか)にその社で刊行した文学賞受賞作品らしい本が置いてあって、その一冊が稲垣足穂の『少年愛の美学』なのである。これ、気づいた人いますかね。それともTVではカットされているだろうか。
ここで記したいのはそれだけのことでした。

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高橋葉介『もののけ草子』

1/1・1/2と高橋葉介の『もののけ草子』1~4を少しずつ読んで癒される。
これと猫画像・動物の赤子画像・動画と、最近癒されてばかりだ。
高橋さんの妖怪ものはとりわけ効く。
名作『学校怪談』も後半はそうだったが、ヒロインが決して負けないから水戸黄門的な予定調和によって屈辱が排除された中で、ただし、登場人物たちは悲喜こもごもの様態を見せ、それを傍観してときに悲しい顛末に心動かすという、読者の「いい気」なところを存分に許してもらえる、その上で、幽明のはかなさにひたるという贅沢だ。
化け物妖怪が当たり前のように出てくるが、それによってこの世がこの世だけでないと少しだけ想像的慰安を感じさせてくれるのもファンタジーやホラーの大切な部分で、しかも高橋葉介の世界ではそれが飛躍しすぎない、私なぞのような俗人にちょうどわかるくらいの規模で展開するので本当に楽しくまたロマンティックなのである。
エンターテインメントはこうあってほしいものである。

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ホビット思いがけない冒険

今年の正月は「ホビット」で始めようという意志で、佐藤とともに映画「ホビット 思いかげない冒険」を鑑賞。
いつもなら2Dで十分と思うのだが、友人が3Dがよいと言っていたのと、毎月1日は割安でそれが3Dの場合も適用されるのと、あとは元旦だし多少景気よくいこうという意向から今回は3Dで鑑賞した。
案の定、途中から3Dであることはそれほど意識しなくなるのだが、それでもときおりはっとさせられるのでこの作の3Dは成功と思った。
あとはともかく「ロード・オブ・ザ・リングス」もう一度の期待がもともとのところで、それはかなり満足させられた。途中飽きない。
ただ、一番気になったのはビルボのモチベーションで、あんなふうにいきなり傍若無人に踏み込まれて「死ぬかもしれんがついてこいこの臆病者」みたいな無礼な命令に従う理由がそもそもビルボにはない。
ここのところ、脚本が練れていない。
私なら、祖先から伝わった謎があって、ビルボはいつもそれを知りたがっていた、という一節を先に挟み、いきなりやってきたドワーフたちとともに行くことがその謎を解くことになるとわかる、ただ、それでも最初は安楽な暮らしを続けたいビルボ、だがそのうちに好奇心がむくむくと起き上がってきてついにいてもたってもいられなくなって旅に参加する、という経過で始める。
こうすることが最も無理なくあとの話にも続くはずだ。
私に脚本を任せてくれればよかったのに。ものの一千万ドルも出してくれれば二つ返事でひきうけたものだ。

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