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突っ込み文化の始まり

1970年代までは真剣に何かやる他者の滑稽さを笑うということはそれほど多くはなかったような気がするが、ある時期から、スポ根漫画あたりのあまりの非現実的な根性ぶりを「なんだよこれ」と突っ込むことが増えたように思う。
おそらくそれはひとつの例で、80年代になると文化全体がだんだんと、他者の、外部の見えていない無自覚さ・愚かさをチェックするような意識になっていった。
逆に、他者から笑われないよう意識的に先回りするような態度も増えた。
こういう中でニューアカとかポストモダンとかが、さかんに前時代のもっさりしたイケてなさを馬鹿にし、それを鵜呑みにした人々が特定の、つまりはポストモダン系のリーダーが馬鹿にするようなジャンルや人を、安心して馬鹿にしていたように記憶する。
それがどこから始まったかと考えると、やはり、70年代のSFの思考がもとになっているのではないかと思う。すべてを相対的に見てみよう、という画期的な意識の改革が、このジャンルによって始まったのではないか。
ところが80年代になるとそのすべてに対して相対的に、という部分を忘れたあるいは捨て去った人々が、流行としてのポストモダン言説に踊らされた、というのが今から見えるところで、とりわけ、何人かの「ポストモダン」リーダーなどは、古い「純文学偉い/大衆文学は駄目」の、全然相対的でない序列からSFとそこに属する作家を軽蔑したりしていた。今から見ると、ではあるが、こういうところにこそ突っ込むべきであったのだなと思う。
が、すべて終わってから思うことで、ミネルヴァの梟は夕刻になってようやく飛び立つのであった。

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