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解禁

しばらく伏せておいてください、とお伝えしましたみなさま、ありがとうございました、もう公開していいそうです。
で、どんな話かは明日以後お伝えします。

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綺麗のこと

早くお伝えしたいけど、というわけであとはいずれ発表します。

それと二月ごろ熊本へまいります。

昨夜はとても星が綺麗だった。という、これは夢でない。

宮沢賢治の『ひかりの素足』の中に「なんというきれいでしょう」という一節があって、さすが賢治、微妙に文法無視して印象的だなと思っていたら、別のテキストでは「なんというきれいさでしょう」となっていた。
原稿がどうなっているのかわからないが、私が最初読んだテキストが単に一字欠落していたのか、あるいは、まだそれほどテキストクリティックが徹底していない頃の全集編集のさい、まともな言い方に直した結果として「きれいさ」とされた、ということもありうる。
賢治の言葉使いにはいつもどこか奇異なところがみつかるので、変な言い方があると「やっぱり賢治は違う」などとつい感心してしまうのだが。

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庭に

きのこをいくつも見つけて喜んでいる。きのこは丸いのもあればふわふわした山形のものもあって、多くは白い。
ふと見上げると、薄紫がかったとてもよい色の夕暮れの空であった。という夢。

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これも誰の言葉だか

「やっぱ水だよ水」

そういえばいつか岩の間からとても綺麗な水が湧く夢を見た。

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評論野郎

池田雄一の言葉。
「群像新人賞評論部門受賞というのはやっぱり誇りだ。その年、全国の評論野郎のトップだったわけだから」
とのことです。なお池田さんは第37回群像新人賞評論部門受賞。受賞作は「原形式に抗して」。

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「鉛筆をなめなめつづった」

この表現が既に使われないのは今では湿らせないと黒くならない質の悪い鉛筆がなくなったからであるとのことだが。
幼少時にはときおり聞いたこともある気がするが、これを最後に意識したのはある新聞記事だったと記憶する。
『ニコヨン物語』という1956年刊行のベストセラーの著者が、その何十年後か、生活に困り、犯罪に手をそめて逮捕されたとかいうような記事があって、そこにかつてのベストセラーのコピーが引用されており、「自身ニコヨンをやっていた著者が鉛筆をなめなめつづった記録」とかなんとかそういうものだった。
この「鉛筆をなめなめ」がなんとなくつましい暮らしを思わせて、当時としては分かり易いコピーだったのだろうと思う。なお「ニコヨン」とは当時の日雇い労働者のことだそうだがこれも今は聞かない。日当240円だからこう呼んだとか。また『ニコヨン物語』は映画化もされている。

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執念

昨日、野心と言ったが、執念、のほうが近いかも知れない。
「魔法少女まどか☆マギカ」にたとえると、さやかちゃんや杏子ちゃんはいい子でかわいそうだが、だからこそ敗北は見えている。
そこへゆくとほむらちゃんはどこまで行っても執念を捨てないし、希望がかなわないことへのどす黒い怒りを常にためている。そして何度挫折しても諦めないし、その都度、やり直しを要求して止まない。
こういう資質が何か成すには必要ではないか。その結果ほむらちゃんはあんなになってしまって。でもそれが正解だ。
っていつの間にか「まどか☆マギカ」主体の話になってるが。

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若いお友達

長命だった井伏鱒二は晩年、周囲に集まる人々についてよくこんな言い方をしていたという。

ところで、主に若い知人友人もしくは弟子たちが最近、目覚しい成果を見せていると知る。
彼らの性格・態度はさまざまなのだが、共通するのは野心の大きさで、一見そうは見えない人にも、それはうかがわれた。
野心とは、自分だけはうまくゆくはずだという確信なのではないかと思う。大きく求める人はその大きさを想像できるからではないか。

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『日本の詩』『忍者の生活』

新橋駅前の古本市を見に行く機会があって、そこで、ほるぷ出版がかつて刊行していた『日本の詩』という、挿絵に現代画家を起用した綺麗な詩集のシリーズをみつけ、非常に安かったので数冊購入した。
『立原道造詩集』『北原白秋詩集』『村野四郎詩集』など。
特に『村野四郎詩集』は、収録された詩とは全然イメージの異なる、坂東壮一による幻想的な銅板画があまりによいので即決。
他に、既に持っているもので、『大手拓次詩集』が、こちらは内容に大変合ったメランコリックでやや怪奇な絵が優れている。
それと、今回、加納光於のイラストによる『昭和の詩』Ⅰ・Ⅱをも買う。これを機会に昭和初年のモダニズムから戦後詩までを少しずつ読んでみたい。なおこれは1970年に出た本なので、最後に収録されている詩人が吉増剛造だった。

ところで、同じ古本市で『忍者の生活』という本を見つけて、少し心惹かれた。
とはいえ、これから忍者小説を書くこともないだろうし、もしそうなっても、ある程度知られた出版社のものだったからそのときは図書館へ行けばよいし、と考えて買うことはしなかった。だがなんとなく今も心に残ってはいる。

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誰の言葉でしょう

バギーカーで荒野を行く。行き着いたところが目的地だ。

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今月はきのこもありますね

以前、客商売のほんの初歩など経験させていただいたおり、実感したのは、お客というのは
「来ないときは全然なのに、来るときはかたまってくる、少しずつ途切れず来るということはあまりない」
ということでしたが。客に限らずものごとの訪れはだいたいこんならしい。
今月はあれもこれも来て行って、そしてまた、きのこもありまうす。→

しばらく二種類ほど違う分野のことをしていたが、気がつくと生えておる。
(この「おる」、このあいだ見た文言に影響されて。何かというと、「犬がおる。モフりたい」)

少し前の『きのこ文学名作選』(港の人 ←出版社名)に続いて、先ごろ『胞子文学名作選』(港の人)が出たので吉祥寺の「百年」で入手したところだったが、

今度はまた飯沢耕太郎さんと玉木えみさんの『きのこ文学ワンダーランド』(DU BOOKS)

が、……既に出ていたあ。すぐ買う。では。

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詩にフィクションはない

表現に空想的なところがあってもそれは真実に近づくためのレトリックで、虚構を語るための言葉ではない。
という話。など。

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不思議だが本当だ

これ、ローザ・ルクセンブルグ(ロックバンドのほう)の歌詞にあるのだとさっき知った(作詞・作曲、玉城宏志)。

それより随分昔に、1960年代あたり、「少年画報」だったか「ぼくら」だったか、月刊少年誌の読物記事の題名としてこれを見た気がする。「ふしぎだがほんとうだ」とひらがなだったかも知れない。
内容は世界の怪事件・怪現象・どうしてそんなのがあるのかわからない不思議な場所やものについて面白く、無責任に伝えるもので、「ムー」(1979~)のはしりのようなものだったと思う(が、もっと科学的な記事だっただろうか?)。

この頃は秋田書店から「世界怪奇スリラー全集」があったし、各少年誌ではたいてい何週かおきに「世界の不思議」を特集していた。後にそれらは「ムー」にほぼ一本化していったのか。

怪異現象も宇宙人も妖怪も全部「怪奇」「スリラー」で一緒にされているのも既に「ムー」的だが、当時はもう少し、戦前の世界観に近い、「この世界はまだまだ知られない場所やものが無数にある、だからこういうこともきっと本当に違いない」という素朴な書かれ方と受け取り方だった。信頼を保証する(と見せかけるための)資料のようなものはほとんど提示されず、ただ名をあげられてもよくわからない、どこやらという場所でこんなことが、というような調子で、伝説や噂話のようだった。
どこかにある大きな湖の底に大きな穴があって、そこからときおり温度の違う水が出てくる、とか、ある条件でだけたどり着ける砂漠の向こうの街、とか。
あるいは人体発火とか、決まって夜中に襲ってくる宇宙人らしい何かとか。

ところで、昨日見つけた。
どうしてこういうことになっているのか知れないが、これも不思議だが本当だ→

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自分にとって一流、を枉げるな、ということ

近く実現する企画の件で出版社の人と会って話した。
流行というものを否定はしないが、なんとか当て込んでやろうとする態度で作ったものは後から見てどうにも痛い、というような話が出た。
今回の企画はそれを避けた。関係者の方々にもそこは伝わったようで、予想外のありがたいこともあった。
この件はあと一か月ほどで公表できると思います。

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『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』

日大の青木先生が「誰かからネタばらされないうちに早く御覧なさい」とおっしゃるので急いで観てきた。

自分の感想はともかく、こんな↓ツイートしている人がいてなるほどと思った。

oimio @chinmilk 11月1日
劇場版まどかマギカ、正直全然期待していなかったので映画1000円デーになるまで待ってから見に行ったんですが、映画館から出て行くオタク達がみんな不幸そうな顔してるの含めて滅茶苦茶面白かったですね。

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