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『伊賀一筆』を推す

思うところあってしばらく休止していたが、これはお知らせしておくべきであるので記す。
江戸川乱歩の郷里である三重県名張市在住、乱歩に関するすぐれた書誌『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』の編纂で知られる中相作氏が創刊し、そしてこの一号のみで終刊する「伊賀一筆」という個人誌が12/10、アマゾンで発売開始となった。 → 『伊賀一筆』
ここには、中氏の、乱歩の作品に関する見解と姿勢が余すところなく記された、かつ大変面白い読み物でもある随筆・解説の数々とともに、若年の乱歩が心血を注いだ手製本『奇譚』(全五部)の第四部までが活字化して掲載されている。
このことの貴重さは多少乱歩に詳しい人ならおわかりと思う。
『奇譚』はこれまで活字化されたことはなく、かつて一度だけ、講談社文庫版の『江戸川乱歩推理文庫』(全六十五巻)の第五九巻『奇譚/獏の言葉』に写真版として収録された(現在決定版と言える光文社文庫版『江戸川乱歩全集』は乱歩の生前に単行本として公刊されたものだけを校訂の上収録という方針なので『江戸川乱歩推理文庫』に収録された未刊随筆とともにこの『奇譚』も未収録)が、なにぶん手書き本をそのまま影印としただけなので、不鮮明な部分も多く、読みづらく、該当巻を所有している人でも全編読破した人は少ないだろう。
これを大変読みやすい活字に直し、また中氏の判断によって、段落分けや段落冒頭の一字明けや句読点の統一・補い、文字の統一、言及作品の題名に「 」を付す、等々の処理が施され、さらに脚注まで加えられている。
乱歩の著作の大半は現在、光文社版『江戸川乱歩全集』によって詳細な本文校訂を施されて読むことができるが、この未刊肉筆本『奇譚』だけは手付かずのままだった。それを、遂に誰でも労せず読むことができるようにしてくれた中氏の仕事には乱歩ファンなら敬意を表せざるをえまい。惜しむらくは第五部と付録部分だけが収録されていないが、中氏によれば、そこまでは「個人の力ではとてもおぼつかない」とのことである。いつの日か奇特な版元の判断を得、同氏により全編翻刻された一巻として刊行されることを願うが、現在のところ、『奇譚』の大半を読めるのはこの「伊賀一筆」誌だけであると明記しておく。
また「江戸川乱歩著書目録」の追加として2002~2013年分をも掲載。
加えて、江戸川乱歩生誕の地という件を「町おこし」に利用しようとするだけで、江戸川乱歩作品そのものへの理解と探求の意欲に欠けた行政環境にありつつ、どこまでも理を通そうとして、文字通り孤軍奮闘する顛末を語る中氏の回顧・随筆群は、その書き手が乱歩に関する日本有数の専門家であるだけに切実で、乱歩を愛する読者には何か聖戦の騎士のようにさえ読める。そしてその聖戦はすべて独り相撲的敗北に終わる。こんなところにドン・キホーテがいた。しかしその志の正しさは、この人をドン・キホーテとしてしまう役所の現実こそが過ちなのであると確信させるだろうし、それはつまり、現世の政治的営為というものが文学者にとってはもともとまっとうなものでないのだ、という感懐を抱かせるという意味で、乱歩の伝えた「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」という言葉を反対側から裏付ける、悲しくもおかしい、そして貴重なドキュメントとなっている。
これだけ盛って二〇〇〇円というのは高価だろうか。乱歩ファンなら決してそうは思うまい。本当に手に取るべきはこういう志の刊行物であることを、ブログ休止中の怠惰を破ってでも訴えようと思い、ここに記した。

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