リブレ出版という主にBL小説の刊行で知られる出版社から、遂に「BL小説」として『孤島の鬼』が刊行された。
咎井惇によるその表紙画に描かれた二人は私が想像する諸戸と蓑浦に最も近い。特に諸戸。リブレ出版のサイトで見ていただきたい。
→ リブレ出版
二人を大きな蛇がつないでいるのも本文を知っている人には「これだ!」
しかもこれはシリーズで、『孤島の鬼』は第一巻として「BL乱歩」と銘打たれている。
(第二巻『人間椅子 屋根裏の散歩者』が「変態乱歩」、第三巻『芋虫』が「血塗れ乱歩」とのこと)
とはいえ、『孤島の鬼』を現在言うところのボーイズラブと呼んでしまうのは全体のバランスからするなら半分以上違っていて、やはりこの小説は怪奇冒険猟奇小説に同性愛の要素が加わったもの、と考えるのが順当だろう。乱歩自身、ここに加えた同性愛の件はむしろストーリーを邪魔するようなところもあった、といったような回想もしている。もともと同性愛を第一のテーマにしたストーリーなのではない。どちらかといえば、主人公が不思議な運命からある女性を探し求める物語が主なのはご存じのとおり、同性愛を描いていても二人が結ばれるわけではない。
とはいえ、物語の末尾まで読み終えると、女性とのことはそれとして、やはり諸戸道夫と蓑浦金之助の関係の悲劇性(特に諸戸にとっての)が心に痛々しく残るであろうし、その意味で、ある種のBL読者が強く反応するであろう、「BLの古典」とされるのも否定しない。
ところで、このリブレ版は桃源社版『江戸川乱歩全集』を底本としているそうだが、諸戸と父の対面の場面では光文社版全集にあったのと同じ一部削除(BL小説的には問題ない)が見られる。比較していないが桃源社版にはなかった削除ではないだろうか。ただしおそらく他は光文社版同様、削除なしと思われる。
一方、クライマックスで語られる二人のある衝撃的なシーンが、現在の春陽堂文庫版では(意図的にではなく、どうも事故で、とされているけれども)すっかり欠落しているのだが、ここはそのまま生かされている。
これがなければ「乱歩のBL小説」という触れ込みも嘘になる。リブレ版としては何より落としてはならない部分である。
私が群像新人賞評論部門で優秀作を認められたさいの作品が『語りの事故現場』というもので、主に江戸川乱歩と三島由紀夫双方の『黒蜥蜴』の比較から始めている。
その後、乱歩の『孤島の鬼』の語りの矛盾とそれにともなう裏面的意識性を追求することとなるのだが、そういった歪な語りであるからこそ成立した奇跡的作品とも思う。そこからは、身体変形のグロテスクという方向の猟奇怪奇とは別に、ある強烈な怯えと自己愛の悦楽がほの見え、そこがとりわけ恐ろしく素晴らしい。
ここで『語りの事故現場』全文が読める → 名張人外境・乱歩百物語第二十話
(目次中の「第二十話 語りの事故現場」のところを開いてごらんください)
ところが、とあるレビューで、「『孤島の鬼』は本格推理ではないから価値がない」と書いている人がいて、これってもう「この小説にはマルクス主義が反映していないから駄作である」と言うのと同じ心ない罵倒である。先に、本格を主流と考えるのは自由であるが、それを重んじすぎるとミステリへの抑圧として働くこともある、と記したが、そのわかりやすい例だ。
(本格好きの方が皆こういう駄目な読み手だというつもりは全くない。ミステリは本格推理であれ、という意見を単純にドグマとしてしまう読み方がよくないのである)
文芸作品はその作品としてのよしあしを読みたい。ドグマティックであることが文学の未来を開いたことはおそらくこれまで一度もないだろう。
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