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乱歩のことならいくらでも書けてしまうね

同時代作家に優れた人がたくさんいるのはわかっているが、それだけにあまりいい加減なことは言えないし、しかもその作品状況は常に変わり続けている。
だが一度は自分なりに、全望俯瞰とまではいかなくとも、ある程度、地図のようなものができている作家の作品については不正確ながらもすぐ答えられる部分があって、自分の場合、江戸川乱歩がそうした作家だ。

日本探偵小説の父と言われているけれども、本格トリックの独創は少ないし、クイーンやクリスティのように画期的な推理小説をいくつも発表したわけでもない。
戦後の文学界に「推理小説」という一大ジャンルを打ち立て、現在の隆盛をもたらしたのは乱歩の仕事と言ってよいが、それは乱歩に、自らにはなかなか実現できない、クリアな推理によって思いもよらない驚くべきトリックを解き明かすという「本格推理」への強烈な憧れがあったからで、そうしたミステリに関しては常に優れた批評家でありジャンルの番人・トレーナーであろうとしたからだ。
だが当人の本質的な資質は、怪奇と幻想、探偵趣味による奥暗い謎と夢の非現実性ゆえの魅力を描くところにあった。
その資質からは彼の望む本格推理はできてこない。だから一層憧れ続ける。
しかしその憧れが「推理」の基準枠を強め、それが極まると逆にその間から「そうでない怪奇」が漏れ出す、そういう作家だったと私は思う。
今日はここまで。

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