« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

1970年代の重要性

日本ミステリの歴史を見ていると、1950年代後半~60年代は主に社会派推理、1960年代末から70年代いっぱいが「新青年作家リバイバル」の時代となる。で80年代からが「新本格」の時代。
この通称「新本格」は70年代の新青年リバイバルがあってこそである、と、大学でこういう件を伝えるときには語っている。その一番大きな原動力はやはり桃源社の「大ロマンの復活」シリーズ、そして雑誌「幻影城」だ。加えて没後最初の『江戸川乱歩全集』が非常によく売れたこと。
だが1970年代はそれだけではない。小松左京の『日本沈没』がベストセラーとなって以後特に、日本SFの時代が始まる。
それと、SFほど売れはしなかったが、同時期、雑誌「幻想と怪奇」をはじめとして幻想文学・怪奇文学が一斉に翻訳紹介される。
さらに『ノストラダムスの大予言』が売れ、「終末」という概念が俗化する。これはフィクションに「世界の終わり」というヴィジョンを与え、のちにカルト宗教をも生む。
というように、1970年代はそれまでの「『戦後』意識から始まる、地に足のついたリアリズム」を転倒させた時代であったのだ。(つづく)

| | トラックバック (0)

著者の名のもとに

小説はもちろんだが、エッセイ集も基本的には「その作者だから」という理由で読まれることが多い。
ただ、経験を語るドキュメントの部分が大きい場合にはその事象への興味から読まれやすい。
むろんドキュメントそれ自体の場合でも作家性に惹かれて選ぶ読者はいるとはいえ、やはりそれはまず特定の知りたいことがあってだ。
その意味では、作家論とかの評論も、その評論家を読むというよりは、評論されている作家作品の解釈を求めて、つまりは好きな作家に近づく補助として読まれる場合は多い。
それはそれでよいのだが、そうした題目によって読まれている間はその著者を十全な「作家」とは言い難い。
自分として最も羨ましいのはどんな駄作でも駄文でも「その作家が書いたものは何でも読みたい」という読者を一定数以上獲得している作家である。
今回のエッセイ集も、70年代文化史とか、ほとんど誰も憶えていないだろう文献とか、一部作家へのストレートな評論でない言及とか、私を知らない人から見ても興味の対象となるようなところはいくつかあるので、そこから手に取ってもらえればよいのだが、できれば自分の書くもの自体に興味を満たれればうれしい、という気分で構成など考えたものである。(つづく)

| | トラックバック (0)

文芸評論ではなく

が、しかし、今回のエッセイ集は文芸評論的なことより、文学なら文学にかかわることからの記憶、が主になっているので、だからエッセイ集なのだ。
手にした本、中でもよく憶えてはいないが印象深かった貸本の記憶とか、あるいは妖怪、玩具、かわいいもの等々、また主に1970年代の文化状況的な記憶など。
すると、澁澤龍彦・中井英夫に関する記憶の記述が欠かせないことになり、それらは「失われた先達をもとめて」という章として真ん中より少し後あたりに置いた。内容は「中井家の方へ」「澁澤家の方へ」という二節でできている。
おわかりのとおり、「失われた時をもとめて」の最初のあたりを模しているわけである。
が、それはよいとして、このお二人についての記憶というのは私には宝のようなものだが、しかし、既にデビュー(というのが幻想文学新人賞受賞以後とするなら)して30年近く経った自分が、未だに先達の名のもとに「……の後継」というような(ただし、これは私が言いだしたのではない)言葉によってしか認知されないとしたらまことに情けないことでもあり、実際のところ確かに情けないのではあるが、とはいえ、ともかくも(私の文業をいくらか知る人から見れば)私にもいくつかはある見どころの中の、それはひとつであるとして、ただそこだけを強調しないよう、編集の方と相談はした。
最初、「澁澤家の方へ」を全体の末尾に持ってくるようにしては、という意見もあったが、そうすると上記のように、ただ澁澤・中井のネームバリューにすがって仕事をしているようなニュアンスばかりが強調されるので、それはやめ、中ほどに置くことで、「大切だが、それも記憶の中のひとつ」の意味をそれとなく示すことにした。
あと、これもいろいろ肯定も批判もあるだろうけれども、「文学的ゴシックの旗手」という語が編集側から提案されたので、帯文に使わせてもらうことにした。そうだな、これなら先駆者にぶら下がってばかり、という意味にはならない。
と、以上のように受け取ってもらえるかどうかはわからないが、私に対して、ありがたくも「澁澤・中井の後継としても可」と見てくださるみなさま、そして、「こやつごときが澁澤・中井に続くなどとは許せない。ききー」とお怒りのみなさま、まま、ここはそういうわけで、ただ淡々と記憶を語りたかっただけなのだ、ということをおわかりいただければ幸いです。(つづく)

| | トラックバック (0)

心から楽しみたい

今回のエッセイ集のテーマは文学に限らない。
が、文学への言及部分では澁澤龍彦・中井英夫のほかに稲垣足穂・折口信夫・三島由紀夫・江戸川乱歩が特に多く言及対象になっている。相変わらずである。
私としてはそれで十分だったのだが、「評論家」枠で仕事が来ていたときは、他の偉い評論家があんまり言及しない新刊本の書評ばかり依頼されて、そこには確かに目を見張る作品もごく少数あったが、しかしだいたい六割以上は残念な気がした。いろいろ好意的に読むことはできるが、それでも「なんか心からは面白くない」のである。そのうち私は下手な作品の取柄を見つけることがけっこううまくなった。
私が「評論家」を名乗るのをやめたのはそれからしばらくしてである。(つづく)

| | トラックバック (0)

三島由紀夫による名解説

1970年、中央公論社刊『日本の文学34 内田百閒・牧野信一・稲垣足穂』は巻末の解説を三島由紀夫が書いていて、この百閒と足穂に関しての解説が大変優れたものである、という話が今回のエッセイ集には書下ろしとして収録される。
この巻の少なくとも百閒と足穂に関しては三島自身が収録作品を決めたようである。
ところが牧野信一についての三島の解説はややおざなりで、どうも百閒・足穂には及ばない、できれば牧野は抜いて二人だけの巻にしたかった、と考えていたように私には思われる。
最近、機会あって牧野の「ゼーロン」を読み返してみたが、やはり好きにはなれない。好きでない以上に、この作品の方法には私としてはどうしても疑問と限界を感じてしまう。
ある種のアンチ澁澤・アンチ三島、そして「自己甘やかしの文学、ナルシシズムはいかん」と一喝したがる評者らは、牧野の惨憺たる道化ぶり(惨憺たるというのは語り手が懸命に道化ているのに読み手は笑えないから)を、自己愛からの脱却の方法として高く評価するらしいのだけれど、やっぱりあんまりうまくない芸を見せられているようで、そのイデオロギーとは別に、私にはただおもしろくなかった。こういう方向なら何より太宰治でしょう。
私は太宰もそんなには好きでないが、しかし、あの芸のうまさには感服する。そしてその芸は三島級に強烈な自己愛が磨かせたのであって、その歪さがよいのである。牧野にはまたまだそういう歪さの自覚が足りなかったのではと思う。
で、作家に対して「小さな自己を捨てよ、大人になれ」とか説教してもいいものはできないと思うのだった。(つづく)

| | トラックバック (0)

小説を書く

エッセイとか随筆だと体験と思いつきで一篇書き終えられるところ、小説、ということになると、随筆まがいでもかまわない、限りなく自由でよい、と言われるにしても、やっぱりフイクションなら「現実」(と自分が認知しているもの)に負けないフイクションでなければ書かれる意味がない、と考えてしまうためか、一回一回が勝負という気になる。
たとえ過去にいくらかよいと思える小説を書いたと自負していても、それと同じかそれ以上の作をなせるという保証がないので、書き続ける間もずっと崖っぷちにいる気分である。
こうして書かれる小説がうまくいっている場合、随筆より評価が高いのも当然のような気もするが、しかし、それでも、手間をかけた割には大しておもしろくない小説よりは、気楽に書かれてしかもおもしろい随筆の方がいいに決まっている。
苦労の量は問題でなく、要は成果である、というのはどこでも同じだ。
それでも自分は最終的に小説だな、とどこかで感じいて、それはフィクションを何かに導かれるように書き続けたときのある至福の記憶によるのだろうか、今ではそのモティベーションの意味もよくわからないが、随筆がそれでも自分の体験という「現実」の後にあるものという建前にあるのに対し、小説は、理想的には、現実の前にある、つまり自分が何か知らないことを創り出す、という、おそらく幻想によってだろう。幻想だとしても、それは消えることはない。
中井英夫があれほど小説に、特に「優れた小説を作ること」にこだわったのはこの幻想があってのことではないか。
澁澤龍彦は長らくエッセイストだったが最晩年、再び小説に志し始め、それがある程度以上の境地に達しかかるときに亡くなってしまったのは残念だ。だがそのコースと達成はとても望ましいと思う。
というわけで、澁澤道というのは、ここ数日書いてきたことを続けて読んでいただければおわかりだろう。正確には近く刊行される私のエッセイ集をお読みください。

| | トラックバック (0)

文人

以前、創元ライブラリ版『中井英夫全集』に「文人と幻想文学者の間」という評論を書いた。ここに「文人」の意味を示しているが、それは本文を読んでいただくとして、文人に最も似合う文学ジャンルというのがすなわち随筆である。
澁澤龍彦には随筆とエッセイとをやや異なるものとしている文があるがここでは特に区別しない。
中井英夫も随筆はうまかった。というか、もともと文章ならなんでも読ませる人だった。
そういう人が、無理やりに「洒落たオチ」や「物語のうまさ」にこだわってストーリーを書きあぐねていたのであれば、もっともっと、自由な随筆を多く残してくれればよかったと思う。特に晩年。
何よりも「作家」でありたければ小説を書き続けねばならないという強迫観念に近いものを持っていた人なのが残念である。
とはいえ、今も、「作家」でありたければ、代表的な小説をひとつならず、いくつも発表していることがその条件と考えられがちで、随筆だけだと「小説はまだですか」と言われたりもする(らしい。私にはそういう経験はないから)。
その考え方に必ずしも賛成するつもりはないが、ただ、どういう経緯であれ、記名の文章を世に問おうとする意志のある人なら「作家」とされていることは重要だ。そうでないと、書き手としての自主性が認められにくいからだ。
ということで澁澤道(つづく)

| | トラックバック (0)

事実の記述

批評は多くドキュメントと分類される。「作品」と思われていないということだ。
これがいやで、先行作品を素材に用いた創作、と考えるべきである。
のだが、ジャンル分けの決定勢力は大きくて、個人の異議申し立てでは変更できない。
ではエッセイはどうかというとやっぱりドキュメント枠なのだが、こちらは飽くまでも書き手主体というニュアンスが徹底しているので、とても楽だ。事実? ふーん。
ところで、澁澤道だが(つづく)

| | トラックバック (0)

澁澤道

連日ではないかもしないが、必要の際リンク先にできるようなことをぽつぽつ書いていきますわあ。

刊行予定のエッセイ集に「澁澤道」という言葉があってこれは既に「トーキングヘッズ」連載中にも用いていたから読んでおられた方は知っている。が、そもそもこの連載がそんなに読まれてないからおそらく今回の単行本で初めて知る方がほとんどだろう。
これまで私以外にこの語を考えた人はいないと思う。どんな意味かというと(後は次回)。

| | トラックバック (0)

エッセイ集

今年中に初のエッセイ集を刊行できることがほぼ確定したので記録します。
これまで「評論」の名目で刊行していただいた本が五冊あって、その一冊は確かに評論だが他は厳密には批評的エッセイと言える。それでも飽くまで「評論」だった。それに対して今回ははっきり「エッセイ」として出る。
何度も記したとおり、評論は好きなのだが、現在の評論家の役割を自分はもうできない。
批評的な正しさを目的とせず、好きに自由に勝手に書ける場を、しばらく「トーキングヘッズ叢書」でいただいた。今回はそこに掲載していた随筆にいくつか書き足して一冊にすることになった。
題名等もそのうち公表するが、考えてみればここに書いても宣伝としてはほとんど意味がない。
なので、本当に必要な場合はツイッターのアカウントを得ようかと思う。
ここに書くよりはいくらか宣伝的意味もあるのではないか。
とはいえ、あのやりとりを自分はできないだろうから、一方的に何かメモするくらいの使い方になるだろう。長くなるようなときにはブログに書いてからツイッターにリンクすればよいのではと思うのだが、みなどう使っているのだろう。
が、ともかく、ここ見てくださっているごく少数のありがたいみなさまにお知らせでした。

| | トラックバック (0)

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »