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著者の名のもとに

小説はもちろんだが、エッセイ集も基本的には「その作者だから」という理由で読まれることが多い。
ただ、経験を語るドキュメントの部分が大きい場合にはその事象への興味から読まれやすい。
むろんドキュメントそれ自体の場合でも作家性に惹かれて選ぶ読者はいるとはいえ、やはりそれはまず特定の知りたいことがあってだ。
その意味では、作家論とかの評論も、その評論家を読むというよりは、評論されている作家作品の解釈を求めて、つまりは好きな作家に近づく補助として読まれる場合は多い。
それはそれでよいのだが、そうした題目によって読まれている間はその著者を十全な「作家」とは言い難い。
自分として最も羨ましいのはどんな駄作でも駄文でも「その作家が書いたものは何でも読みたい」という読者を一定数以上獲得している作家である。
今回のエッセイ集も、70年代文化史とか、ほとんど誰も憶えていないだろう文献とか、一部作家へのストレートな評論でない言及とか、私を知らない人から見ても興味の対象となるようなところはいくつかあるので、そこから手に取ってもらえればよいのだが、できれば自分の書くもの自体に興味を満たれればうれしい、という気分で構成など考えたものである。(つづく)

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