ゼロ年代の想像力
ゼロ年代の想像力、というキャッチーな言葉は宇野常寛による著作の題名だったかと思うが、便利なのでときおり使わせてもらっている。
伊藤計劃の二長編はそのよい例と思う。詳しくは近刊書で。
それと、『リテラリーゴシック・イン・ジャパン』がいくらか、いや、相当、受容されるようになったところ。
1960年代的な愚直さ生真面目さと理想をいだく(嘲笑的でない)この本の核にある志向は、80年代から90年代初頭にはまず受け入れられなかったのではないかと思う。いや、当時のことはもうわからないが、それでも、かつて、ある時代意識によって抑圧され、今は再び望まれるようになりつつある傾向のあらわれ、と考えたい。
また、リヴィングデッドのような、もともとアンチ・ロマンティックなモンスターに、にもかかわらず、感傷性や悲劇性を帯びさせてしまう意識もそれである。
などなど、いずれも刊本でお読みいただけると幸いです。
ここしばらく続けてきたような、意識の年代記、とでもいうべき記述が今回のエッセイ集の主要な要素のひとつ。(この項いったん終了)
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