清家雪子『月に吠えらんねえ』とそのほかの件
『月に吠えらんねえ』作者・清家雪子さんとデザイナー・芥陽子さんを招いてのトークショーが金沢の石川近代文学館であった。
愛読はしているが金沢は遠いと思っていたら、家人がすべて予約の後、連れて行ってくれた。昨日、参加、無事帰宅。事前にサイン会もあったが、こちらは家人のみ参加した。
『月に吠えらんねえ』は青年誌「アフタヌーン」に連載しているが、何かをゲットするためにストーリーが進む種類の漫画ではない。
どこまでゆくかわからない、心の旅路のようなものを細密に画像化し台詞をつけたもののように思える。
創作者の意識を深くのぞき込むところが優れている。最近は深くのぞき込みすぎて、こちらがのぞき込まれている気がする。
『月に吠えらんねえ』の作者はきわめて知的な人のように見受けられたが、最近の連載ではかなり危ういところまで踏み込んでいる。だがそれはある種の教養と智があってこそと思える。
作者にフェミニストの身振りはあまりなく、むしろフェミニストならまず否定すべき高村光太郎と智恵子の関係を、従来とは異なる、創作者側の視線として描いている。
ただし、フェミ知らずなのでは決してなく、白(白秋の作品からインスパイアされたキャラクター、非常にもてる)についての醒めた記述はあきらかにフェミニズムを通過したものであり、読者にもそれは当然の視線として共有されている。
一頃のようにその女性がフェミニストか否かは今では意味がない。
知的創作物にかかわる女性はたとえフェミニスト的な身振りが全くなくても、必ず一度はフェミニズムかそれによって成立した思想を通過している。
そこを見落としているために、最近のある種の日本映画は失敗している。
対して「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の大成功の理由のひとつは、これまでに通過したフェミニズムを成立要素として組み込んでいることによる。
日本ではフェミニズムだけが忌避され、エンターテインメントに組み込まれていない場合が多い。だがフェミは今や人気を招く要素の一つなのだ。
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