中二病についてふたたび、三島由紀夫・森茉莉 編
中二病というのは便利な言葉だが、長らく抑圧の根拠になったのは困ったことだった。
もともとこれを言い出した伊集院光の真意は「自分の過去を恥ずかしがる」だけだったのに、今では大半、「他者のイタいところを揶揄するために用いる言葉」になってしまっている。
でも便利だから使っちゃうんだな。
それと、一度そういう揶揄の現場を通過すると「はい。中二病ですが。なにか?」と言えてしまうので、心当たりのみなさん、ひとまずあの険しい山を越えましょう。
考えてみればかつて、三島由紀夫や森茉莉の世界に心酔し、「一般人」を軽蔑していた耽美の人たちが、あるとき、いきなり誰かから「ぷっ」と笑われたら、ショックだったと思うんだ。自業自得ではあるが。
だが本当の耽美の求道はここから始まる。
他者は自分の都合のよいようには見てくれない。そこで「はあい、もう馬鹿やめまーす」という人はそれでよいが、「でもやっぱりわたしはこれが好き」な人はもう一歩考え深くなるわけですね。
先行する文豪たちの用意した耽美をそのまま自分のもののように感じて、考えなしにいい気になっていた人は、このとき、ひとつ学ぶのだ、耽美フィクションなんて架空のものなんだから、もともと現実の人たちの強さには勝てない。
それは恐ろしく巧緻な手腕あってようやく他者をそそのかし参加させうるプロパガンダみたいなもので、鍛錬の結果なのだと。
そういう他者への姿勢の極め方は三島由紀夫が既に示していた。
よく読めば三島は全く「いい気」になっていない。森茉莉はちょっとそこまでいってないと思うけど。
なお、茉莉は上流階級の冷酷さを身につけていたところが他と大きく違うだろう、だが実のところ、晩年の「ドッキリチャンネル」等に見えるそれは近年のオタク女子のメンタリティとそうは変わらないようにも思う。
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