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ヤスポンじゃなくてユキポンにあげてほしかった、ノーベル賞

毎年、ノーベル賞の特に文学賞が決まる頃になると思うこと。
川端康成にではなくて、三島由紀夫に受賞させてほしかった。
これは私ばかりではなく、他にも同じ意見の人の言葉を読んだことがある。
どういうことかと言えば、そうすれば、二人とも自殺しなかったかもしれないからだ。
三島由紀夫は、1967・8年くらいの頃、「このまま文士やってても結局サエないなあ、武士になって死のうかなあ」と考えていたらしいことが当時のエッセイでわかるが、ある人が言うには、そのころ、『豊饒の海』四部作というこれまでにない長編にとりかかっていて、なかなかこれができず、そのため、発表した作品への反響を聞くことも多くはできず、話題に上ることが以前より少なくなっていることにだんだん焦れてきていたらしい、とのことで、もしそれが本当なら、ここでノーベル賞などを受賞していれば、存分にもてはやされ「やっぱオレ文士やるわ」で、自殺まではなかったかもしれないというのだ。
川端康成については、孤児だったこともあり、周囲の人とのつながりをとても大切にした人で、そのため、有名になってからは義理のある人には決してそれを欠かさず、議員に立候補した知人(結果、落選)のために応援演説までしている。
ノーベル賞受賞などという未曽有の大名誉を得た後は、さぞ、その名を頼ってくる人が多かっただろうし、川端はそれに律儀に答えようとしただろう、出版社ジャーナリズムからも依頼が殺到しただろうし、それに応じようとしていると、もはや自分の時間もなかなかとれなくなっていたのではないか。もともと不眠症だったのが、多忙と人付き合い過多とで悪化し、睡眠薬の量は増え、そのうちに決定的な鬱状態になってもおかしくない。
川端の自殺のきっかけはいろいろ沙汰されているが、実のところ、慌ただしく落ち着かない立場と不眠と義理にせかされ続けたことがその最も大きな理由ではないかと思う。受賞がなかったらそこまではいかなかったはずだ。
川端はノーベル賞を受賞していなくても、もう既に日本文学の重鎮だったのだし、それならむしろ三島に受賞させていればよかったではないか。話題にされることが何より好きな三島であれば、ノーベル賞受賞後は、いよいよ生き生きと作家活動を続けたに違いない。
と、こんなふうに惜しくなるのである。

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