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町田康の『宇治拾遺物語』

『池澤夏樹個人編集・日本文学全集』の古典編(第8巻)に町田康による『宇治拾遺物語』現代語版が入っていてその「こぶとりじいさん」が秀逸だというので読んでみたらやはり秀逸だった。
こぶとられじいさんは鬼の宴会の様子に、踊りたくてたまらなくなり、ただ踊りたい一心で踊りだし、鬼たちはその面白さに感動する。
隣のこぶつけられじいさんは、自分が踊りたいためでなく、それによってこぶをとってもらいたいために踊るのでおもしろくない。
こうして隣のじいさんは鬼たちの不興を買い「もう来なくていいから、これ返しとくわ」ということで、最初のじいさんの分まで、もうひとつよぶんなこぶをつけられてしまう。
鬼たちとじいさんの思惑が違っているのは原作通りだが、その後のところで芸術の神髄みたいな話になっていて(ここが町田さんのオリジナル)、実にいい。

『宇治拾遺物語』にはまた、全説話集中随一のおバカ話といってもよい「中納言師時法師の玉茎検知の事」が入っているが、これも町田訳で読んでみるとやはりよい。
もとがあまりにばかばかしいのでさすがに町田さんもその物語自体に新たな何かを付け加えることはなかった様子だ。
ただ、そこに出てくるインチキ法師について、国の認めた僧侶ではないからこいつはおそらくインディーズの僧らしい、という意味の、原文にない紹介があって、ここでまた笑った。
町田康、何をやってもおもろい男。

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