本日の文学話
文学者にはほぼ誰でもダークサイドがあるものなのだが、たとえば寺山修司(覗き事件)、川端康成(「眠れる美女」事件・自殺前後のいきさつ)、江戸川乱歩・稲垣足穂(少年愛にかかわる秘事)あたりを、知る人から聞いているとダークというよりダーティーな気もしてくる。
そこいくと、三島由紀夫は同性愛の件であれこれ言われるけれども、現在の私から見て、その嗜虐趣味はダークかもしれないが、どこにもダーティという印象はない。「退廃文学を真面目に愛する」人だけあって、真っすぐに思える。
太宰治とかそういう方になるとダークというのでもなく、ダーティとも思えない。もともと紳士の欺瞞からは遠いからか。そのかわり、ダメティ、かな。
澁澤龍彦にもこりゃダメだ的なところは多くあって、伝え聞く、ある場合の女性への態度はかなり酷い。
中井英夫にはやっぱりダーティ部分ありますね。全集のとある解説でも読み取れる。僅かに聞き及ぶところでもかなり酷くてしかもダーティ。
「バンビ」の作者ザルテンは、匿名で、幼女を主人公にしたポルノグラフィーを書いていた、というような、そんなショックがいたるところにありますね、文学。
なお、かつては身分差と社会的階層差別が露骨だった(今はまた拡大しているといわれるがソフトに隠している)から、立場のよい者が最も卑しいことをしてみるのがある種の悦楽だった、ということもありうる。作家は本来はぐれ者だが、成功し有名になると皆手のひら返したように尊敬するし。
でも寺山さんなんかはもうそんなこととは別に誇り高い変態とも言えるか。でも覗きはなあ。やられるとヤだよね。
詩の世界でちょっと乱歩的なグロテスクを表出した萩原朔太郎は、どこまで聞いてもどうもそういうダーティなところがなくて、とても小心なイイ人(その上無駄にイケメン)、ただしこの人も徹底的にダメティ人であった。
最近だと、現役作家のやばい部分は今のところ絶対口にされないだろうけど、この先、ペドフィリアにかかわる性向はかなりチェックされそうである。クスリ・酒・賭博、そんなのは全然ダーティじゃないし。
そこへ行くと近年の作家に関する問題として大きいのはメンヘラー系ではないかと思う。もう絶対関係したくない人の話はたまに聞く。
女性作家で酷いという評判は林芙美子の話が有名か。敵対する相手のことは徹底的に汚い手で貶めたらしく、葬式で川端康成が「こんな人ではありますが亡くなってしまったのでどうかご冥福を祈ってやってください」とかなんとか話したとか。
林芙美子の葬儀に是非と呼ばれて、全然思い入れなく出席していた三島由紀夫が「なんでこんなのに出なきゃなんねえの」と言ったとか。なんだか。
田村俊子はそういう酷さはなかったようだが、今聞くとかなりメンヘラーだったようにも思う。
森茉莉はどうでしょう。この人も三島と似ていて、あああんまり、とは思うところはあっても、また、こりゃつきあいたくねえなあ、とも思うとしても、やっぱり汚れた感じはしない。子供みたいだが子供の酷さは十倍増しくらいはある。
志賀直哉は、あるとき、自分を尊敬して会いに来た斜視の青年に「きみぃ、目があっちとこっちに向いてるからどこ見てるかわかんないよ」と平然と言ったという。超無神経。生まれつきいい家で、資産あり身分あり、イケメン、モテ、作家的地位早くからあり、と揃ったせいともいえるが、やはり素質かな。
なお、志賀直哉はエピソードに満ち満ちた人で、相当晩年、友人たちの集まった場で、鴨居から逆さまにぶら下がり、「はい、コウモリ」と言って見せたとか。
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