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なかよし のこと、妖怪のこと、批評のこと、など

健康で長寿、であればよいことですが、その一番の秘訣は なかよし ではないかと思うのです。 なかわる と いぢわる は寿命と健康を損ないますね。

水木しげる先生の93歳没は水木的にはとても早世であると思いますが、人間平均では長寿ですね。その水木先生は偉大だが聖人という感じはしない(妖怪だけど)。ただ、いぢわるをしたり、なかわるな相手を憎み続けたりということはあまりなかったのではと思う。

妖怪はもともとキャラクターではなく、江戸の絵師の絵をもとに水木先生がキャラクター的に描いたところから今の妖怪文化ができたものと認識していますが、もともと、「存在」というより「事象」であったものですから、原理的な行為や反復はあっても人間的な怨恨・悪意というようなものは薄かったはず。

それで怨恨・悪意の権化としては幽霊という人間意識由来の怪異が担うことになり、ここから妖怪と幽霊は別であるという認識も生じたのではないかと思う。もともとが妖怪に「人間性」はなかったので。

ただ、キャラクター化されてゆけばそこに「人臭さ」も付与されるわけで、最終的には人間ともあまり違わなくなってゆくことになる。そこを一歩とどめようとする工夫がその面白さで、たとえば人間的な妖怪を描くときにはそれでもどこか心が欠落した存在として描くとうまくゆく、とか。

ところで、サント=ブーヴ(小説・詩もあるが主に批評家・フランスの小林秀雄?)は、生前高く評価していたバーキエ公爵の死後、「本当言うとあんなの文学者扱いできない」と酷評した。それを聞いたゴンクール(作家・批評家)は「自分、死んだらあんたに追悼されたくない」と言った。(プルーストの報告による)

また、サント=ブーヴは、バーキエ公爵がアカデミー・フランセーズの会員に立候補すると言ったとき「少なくとも私はあなたに票を入れますよ」と約束したが、実際に立候補の際には別人の名を書いたという。ここには、批評家として世をわたってゆくに必要な言動と、自分の価値観の堅持のための裏工作が見られる。

一度でも文学的批評を公の場でやったことのある人には、単にサント=ブーヴを否定はしきれないと思う。本当に心から正しいと思うことだけをストレートに書こうすると、どんな業界でもいずれ干されてしまう。

じゃあ、周りが望むようなことだけ書けばよいではないか、という意見には、それができる人はライターとして優秀だし文句はないが、批評を公にしたいという人はそういうことから始まっていないので、それだけでは批評を書く意味がない。それでときに卑怯と言われるような騙し討ちもする。

でもそれは私の好きな なかよし の世界ではない。だから私は「批評家として商売すること」を止めた。

とはいえ、今も、あちこちで批評家の無念さは感じることが多い。特に不景気なときや全体主義的な風潮の大きいとき、批評家はあらゆる卑怯なことをしてでも、何かの意地は通さねばいられないのだ。言動に裏表があるとサント=ブーヴを嘲っていられる人は幸いである。

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