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すぐれた本・面白い本・くる本

京極夏彦さんが読書の有効性を認めつつも「本を読んだから小説がうまくなるわけではない」(趣旨)と言っておられた。身も蓋もない小説家の現場からするとそうなのだが、ひとまず小説家である場合には、読んで自分の小説が書ける本とそうでない本があり、前者を私は「くる本」と呼んでいる。

私にとってよい本とは、「すぐれた本」「面白い本」と「くる本」(それを読んでいると自分が書きたい小説が湧いてくる本)の三種であり、最近は「くる本」を求めることが増えた。

読むと評論が書きたくなる「くる本」もあるのだが、小説を書きたくなる「くる本」とは微妙に違う。なお、強く影響されてそれと同じような話を書いてしまうような場合は「くる本」ではなく「すぐれた本」である。「くる本」とはそこに書かれていることとは全然別の自分の事情を浮き彫りにする本のこと。

ある音楽を聴いてよい小説が書けたり、ある絵を見てそれとは違う場面のよい小説が書けたり、ダンスや映画や、思えば本に限らず、何か心を波立ててくれる表現があって、その言ってみれば波動みたいなのによって、テーマは全く異なる何かを書かされてしまうという得難い経験ということ。

インスパイア、というのとも違う、コーンと何かがぶつかることでそれまで気づかなかった可能性が見える、とでも言うか。必ずしもそれは「世界の名作」ではなく、自分にとって貴重な何かを発動させてしまうこと。本でも音楽絵画映画演劇等でも。

ところで(以下別内容)、来年7~9月が決め手の予定で、まだ先は長いがほぼ決定したので今年は快くいられる。三年前は困っていた。人事の交代はときに残念だが長い目で見れば必ず好意的な人が要職に就く時期が来るので無念なときは待つのみ。中堅から大手の出版社の話だが。と、この部分はこれでわかっていただける人にお知らせしました。

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