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リディア・デイヴィス 著 岸本佐知子 訳 『分解する』(作品社刊)

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リディア・デイヴィス 著  岸本佐知子 訳 『分解する』(作品社2016年6月刊)

昨年の『サミュエル・ジョンソンが怒っている』に続いての翻訳。あれもよかった。今回はデビュー作品集で、原著刊行年は1986年。34の短篇が収録されている。

期待していた。そしてきっと期待とは違う予期しない何かに出会えるという意味で期待通りだった。
一気に読むような本ではないので、収録作一作読むたびに日々ちょっとずつメモしたのが以下。

(1) 「話」
恋人であった相手が別の女性と去ることをわかりつつ、彼のいきあたりばったりで信用できない言動の真意と事実を論理的に再構成しようとする試み、という感じ。が、考えるうちに彼ばかりでなく自分の意図も不明になる、そのリアリティ。

(2) 「オーランド夫人の恐れ」
恐れという核をもとにだんだん認知症が昂進してゆく人の心的世界、というように読むこともできるが、誰もが持つ心配という心の隙間が一歩一歩拡大してゆく過程が他人事でない気がした

(3) 「意識と無意識のあいだ―小さな男」
横たわり眠れないまま考えごとをする感じをそのまま言語化しようとした。ところどころ挟まるのは、思考が勝手に動くあの入眠時の小さなヴィジョンかな? あるいは全然寝られないままでの想起とも読めるが、どちらにしても不如意で唐突だ。こういうものを自分も書きたいとよく思う。

(4) 「分解する」
今も好きなのに別れを告げられた女性のことを思うと苦しくて仕方がない。だが彼女といた時間に自分の支払った金を時間数で割ってみると、まあ、そんなに損はしていない…といった俗なレベルでどうにか納得しようと懸命な心。ああ。

(5) 「バードフ氏、ドイツに行く」
ドイツ語習得のためケルンに来たバードフ氏だが語学は上達しない。その日々と望みと女性関係と。短い中に小さいことが淡々と書かれる。どうということもないがやはり人生は発見の連続だ。

(6) 「彼女が知っていること」
自意識が年配の男性だが見かけは若い女、という場合だが、たとえば男性による「オレもし美人の女だったらああもここも」という手の想像とは最初から異質でクール。

(7) 「魚」
女がいて料理済みの魚があるそれだけなのだが、ただもう敗残感。

(8) 「ミルドレットとオーボエ」
下階にいるミルドレットはオーボエで自慰をしている、のか、あるいは? でも声が大きい。そんな環境で考える一人の住人、その冷めた視線と数での対比がおかしい。

(9) 「鼠」
鼠をめぐる話を読んだり思い出すことがあったり実際の鼠に対処したり。その語り方が水平的でどこへ向かうか予めはわからず、特に異様な事件ではないのに異質な視線が知られる、その面白さ。

(10) 「手紙」
過去から響く硬くてどうしようもない執着、そこから逃れるように女は翻訳を続ける。思えば翻訳の対象は自分の言葉でないから、ある責任の放棄が認められつつ自らの言葉の構築ができる。そんな自他の言葉の狭間にある空気を思わせる。

(11) 「ある人生(抄)」
実際の鈴木鎮一の自伝をコラージュしてわざとらしく翻訳調にしたものらしいがその選択・切り取り方もまた再創作なのだと思わせておもしろい。かつ、ここでも翻訳という行為の微妙な在り方を考えさせる。

(12) 「設計図」
期待に満ちて購入した家と土地は実際には最悪の環境で、さらに日一日と悪化する。そんな中、彼の書いた設計図に見える望ましさを受容してくれる男を迎え、彼の想像は一時現実の軛を離れる。いいなあこれ。ちょっとインスパイアされる。

(13) 「義理の兄」
カフカの小品みたいな感触がある。いったい彼は何?あまりの寒さに「薄まりはじめた」というところがすごくいい。小話のようにも読めるけれども、何か夢の底をかすりそうな感じ。

(14) 「W.H.オーデン、知人宅で一夜を過ごす」
詩人オーデンの伝記にあったことをそそそっと再現してみた話。そんなことなんですんの?と思うが、すぐ、いや、わからなくはないな、寝るとき重いかけ布団に押されていたい気持ち。

(15) 「母親たち」
母親あるあるをやや遠い視点で描いたような感じ。ほんとにそうだな、と思いながら、なんか異物感があって、そうだ、母親という存在の異物感ってこれだな、いや悪意のある存在では全然ないのだが、でも、という、保ちきれなさ。

(16) 「完全に包囲された家」
なんだかSFみたいに始まるが、SFというより言語による前提の規定にかかわる、詩想の反復のようなものだった。でもなんなんだそれ?

(17) 「夫を訪ねる」
離婚しようとしている夫の家に行く。互いに恋人がいる。前提はそんなだが、それより、人は何によって心をそらされるか、心そこになくなるときはどういう場合かがとても具体的に切実に書かれていてとてもリアル。

(18) 「秋のゴキブリ」
語り手もゴキブリは嫌いなのだがさほど嫌悪感は表出されず、むしろ詩的な源泉になっている。それが巣くっている隙間を懐中電灯で照らすと「無数の脚の森がうごめくのが見える」というところが最高。

(19) 「骨」
夫の喉に魚の小骨が刺さり、取れなくて医者に取ってもらったときの記憶。それだけなのだが、途中のよくわからない、奇妙だったりものものしかったりする過程が、ごく僅かだが異界めいた気配を感じさせる。

(20) 「私に関するいくつかの好ましくない点」
いきなり別れを告げられる。「最初から好きになれない点があった」って何それ?人はなぜ他者を好み嫌うのかという本質に触れそうで、でもどんなにそこを考えたところで問題は解決しないという事実。

(21) 「ワシーリィの生涯のためのスケッチ」
著述家、今日はやるぞと決めて机に向かおうとするが決まって用具が不足、次いで先にしなければならないことがいくつも起こり、のあたりが、そうなんだよ!と言いたくなったり。そうなんだよ。

(22) 「街の仕事」
街に雇われて、ということだが、皆、変な仕事をする人たち。間違い電話役とか変な帽子かぶり仕事とか狂人役とか。という、ありえなさそうな不条理でスラップスティックな街を創造しかけて、スケッチのまま放棄したような感じ。同じ言葉の間違い電話係りが印象深い。

(23) 「姉と妹」
ミソジニー的な父親の、生まれる子への願望に始まり、やがて姉妹という関係の残念なところ、残念な成り行きが語られる。そして。特に残酷でも恐怖でもないが楳図かずおの連作「おろち」に含まれる「姉妹」と「血」を思い出した。

(24) 「母親」
最初はあるあるなのだが、次第にエスカレートしてゆく、母から娘への惨憺たる言葉。ひとつ前の収録作「姉と妹」より酷さ十倍増しくらい。ラストはもう現実離れしてグリム童話の意地悪な継母みたいで、物語的な感じが強まる。

(25) 「セラピー」
自分でもよいように動かせない自分の心、外部とのときに薄くときに厚くなる壁。保てない感じ。医者相手でもつらいときは多いが、でも関係は続く。ふらふら読みながらどうしようか考えてしまう。

(26) 「フランス語講座 その1―Le Meurtre」
本当にフランス語講座としての説明が続き、いきなり示されるフランス語の単語をパズルのように読んでいくが、ところどころ状況説明が過剰になる。で、そちらに意識を転じると。いいねこれ。 ただ、本当にフランス語できる人にとってはこれ、もう、出オチなんですが。

(27) 「昔、とても愚かな男が」
自分はどこにいる? ここにある問いは例えば「アリス」のチェシャキャットが語ったように、主語でなく述語による同一性に意識が向かうというところから始まるらしい。つまり自分と同一の行動をとる者も自分。では自分はどこにいる?

(28) 「メイド」
なんとなくゴシックロマンスの果てみたいで、「ねじの回転」やパトリック・マグラアの諸作などを思い出した。主人のマーティン様というのも謎だし、どうなっているのかわからないが、陰鬱で抑圧的な口調がただ世界を積み上げる。

(29) 「コテージ」
起伏に満ちた過去の長大な記憶を秘めているらしい、しかし今は他者と語る通路を失った老女、そして娘たちに見捨てられているらしいが待ち続ける老女を、感傷的でもなく突き放すわけでもなく語る。そのなんとなく手探りの感じ。

(30) 「安全な恋」
小児科の医師に恋をしても、自分の子、医院のスタッフほか隔てが無数にあって。でもこういうことは他にいくらでもある。だから、実のところ、われわれの日常は、見えない、成就しない恋に満ちているのでは?とも思った。

(31) 「問題」
誰が誰に対し義務を負い誰を愛し誰を保護し等々の関係が結ぼれた多数の紐のようで決してほどけず動きが取れない。ゴルディアスの結び目みたいに一気にほどくにはすべて断ち切るしかないが、といって、皆がそれをほどかれたいとも思っていないのだ。

(32) 「年寄り女の着るもの」
中年半ばを過ぎかかっている女性が老年の自分の自由さを想像する。男性の友人にそれを語る。老年の自分を安楽に想像したいが、そこにある重力が加わってくる。で、どのように考えればよいのか、自分にはわからない。

(33) 「靴下」
今は別の女性と結婚している元夫がたまたま忘れていった靴下が元夫との年月を想起させる。物に喚起される記憶はときに疲労感を誘う。残された「物」が記憶と感情の代わりとして機能する様子が語られる。それが何かを射止めている。

(34) 「情緒不安定の五つの徴候」
揺れ動き、ときに泡立つような、心という不如意。「あれさえあれば解決する」という期待。だがそれがあっても無理と半ばわかっている。そんな語りの中、なんとなくそのやるせなさに感染してしまう。

毎日(尻 on fire dayを別にして)仕事前に少しずつ読んでいくのが楽しかった。
リディア・デイヴィスの書き方は一貫しているわけではないが、どれも、対象への距離のようなものが何かに託した視線としてあるようで、そこが快い。推薦します。

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