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高原英理 『不機嫌な姫とブルックナー団』 について(その4)

『不機嫌な姫とブルックナー団』(8月26日、講談社から発売)、少し前にカバーラフを見せてもらったら、参考として英語のタイトルが入っていて(この段階では使用するか否かは未定)、ブルックナー団は「Bruckner Corps」だった。Corpsは「団」だが「兵団」「軍団」としても使う。
進撃のブルックナー兵団!
と、思っていたが、最終的には「Bruckner Brothers」となりました。やっぱりこっちの方が妥当かな。なんかブルース・ブラザーズとかブルックス・ブラザーズとかみたいだけどそれも面白い。

ブルックナーの交響曲の演奏では、ギュンター・ヴァントの指揮したものが好きです。特に北ドイツ放送交響楽団を指揮した5番・8番がよいと思う。
朝比奈隆は大フィル・ザンクト・フローリアンでの7番、新日フィルとの5番、など。
ほかハイティンク、ブロムシュテット、(以下は録音で知っているだけだが)ヨッフム、チェリビダッケなど。カラヤンもけっこういいと思います。
近年の実演では2013年ハイティンク指揮ロンドン交響楽団の9番、同年マゼール指揮ミュンヘンフィルの3番、2015年東京都交響楽団定期ミンコフスキー指揮の0番、今年2016年2月のバレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンによるブルックナー交響曲全曲チクルス、また、この間7月の東京交響楽団の定期でのジョナサン・ノット指揮による8番はとてもよかった。

『不機嫌な姫とブルックナー団』刊行のさいは私からの推薦ブルックナー演奏CDリストなども考えてみようかと思っています。

この執筆中、心は少しだけ世紀末のヴィーンにいた(あ、基本、現代日本を舞台とした小説ですが)。
世紀末ヴィーンのカフェの様子とか、ちょっとは知っているつもり。それとヴィーン・フィルのリハーサル風景とか。
当時は市庁舎も楽友協会も今とは別の場所にあった。1870年代頃ブルックナーはヘスガッセのヘーネハウスという高級アパートにいた。
ヴィーン大学で無給講師を務めるブルックナーの講義を、マーラーが受講していた。
交響曲第三番初演の際、シャルク(兄ヨーゼフの方。ピアニスト)やクルシシャノフスキー(クジジャノフスキとも、後のワイマール宮廷楽長)ら他の弟子たちとともに後ろの方で聴いた。当時は楽章ごとに拍手喝采をするのが当たり前で、彼らは師の音楽に懸命の喝采を送った。だが演奏会は大失敗した。
マーラーはクルシシャノフスキーとともに、ブルックナーの交響曲第三番のピアノ用編曲もしている。
ヴィーンフィルの総監督となって以後、マーラー本人も三番を指揮したという話だが、彼の死後、アルマ夫人が「何十回も演奏した」と語っているのはどう考えてもありえない。
なお、アルマ夫人はブルックナーを相当馬鹿にしていた様子とのこと。一世を風靡した美貌の才女で才能もありセンスも抜群、男性遍歴数知れず、だったのだから対極にあるような非モテの田舎者を(その才能とは別に)嘲笑したのは無理もない。
なお、リストの義理の娘で当時最先端の芸術家サロンを率いていたホーエンローエ侯爵夫人も同じくブルックナーの鈍くさく卑屈で、しかし実はけっこう計算高い田舎者ぶり(ときにその受け狙いの道化的演技も含む)を毛嫌いしていた。
こういうふうに当時もセンスいいお洒落な美女才女からブルックナーは大抵嫌われていたのです。

『不機嫌な姫とブルックナー団』は全部で9章。ブルックナーの交響曲の数に合わせている。ただしゼロ章と習作章はない。

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